#2 村へ続く道
日付が変わり、まだ日も低いところにある頃、ワンボックスカーが人気のない山道を突っ切っていく。車内では同僚のメアと掃石が前の席に、ディグとウルリが後ろの席に座っていた。ウルリは仕事という名の外出に興奮気味のようで、落ち着きなく窓の外を見ている。その横では、いかにも寝不足といったような様子でディグがぐったりとシートにもたれていた。
「ディグくん、昨日何かあったの?」
ハンドルを切りながら、メアが心配そうに言う。メアはディグと同じ医療部門に所属している女性で、話を聞いて今回車を出してくれたのだ。掃石はこう見えて免許を持っておらず、なぜついてきたのかと思うくらいこの中で浮いていた。
「荷造りにしちゃ時間がかかり過ぎだわな」
「ウルリがなかなか寝かせてくれなかったんですよ…まさか三時まで粘られるとは思ってませんでした」
「え?眠くなるまで起きとくだろ?」
「なんてやつだ」
掃石は面白そうに言った。ディグはそれに反論する気力もなかった。
剪定されていない木々が多くなり、徐々に道も険しくなる。やがて道自体がなくなり、途切れたアスファルトの上で車は静かに停まった。
「ごめんね、車じゃこれ以上進めないみたい…」
「いえ、ありがとうございます。ここまで送ってくれて」
「ここから歩きか?どこの方向に行くんだ?」
「辛うじて人が通ってるっぽいところがあるから、それを辿っていくといいよ。調査職員曰く、歩きやすいところを歩いてたら着くらしいから」
「適当だな!あはは」
荷物を下ろし、メアと掃石に見送られながら、ディグとウルリは歩き始めた。
秋の気配が濃く、辺りの木々はその葉を美しい暖色に彩らせている。そっと耳を澄ますと微かに、きれいな鳥の鳴き声が聞こえてきた。
紅葉の海を踏みつけながら、二人はしばらく黙々と歩いていた。取り入れた酸素がすぐ運動に使われるため会話がなかったのだが、やがて沈黙に耐え切れなくなった――あるいは有り余る体力を持っているせいか、ウルリはぴょんぴょん跳ねながらディグの傍に寄り、その胸の内を明かしてきた。
「なぁ!山登りなんてオレ初めてだよ!テンション上がるな!」
「そうか?俺はそうでもないんだけど」
「もやしっ子だもんな~肌も白いし。運動しようぜ!あの坂の上までさ、走ろうよ!」
「荷物を持ってなくて、仕事じゃなければ乗ってやってもいいよ」
「おー!じゃあ…って、ダメじゃん!荷物持っているし、これ仕事じゃん!?」
「残念ながらそうなんです」
「それは残念だ…」
ものすごくがっかりして肩を落とすウルリ。見ているこちらが申し訳なくなるくらい、落ち込んでいた。しかし不要な運動や会話は、それだけ体力を奪ってしまう。行く末の見えないうちは、ディグはなるべく無駄なことはしたくなかった。例えウルリが心底がっかりしていようとも、その気持ちを変えるつもりはなかった。
それからまた三十分ほど歩いたところで、道に変化があった。
明らかに舗装されたアスファルトが現われたのである。野草が生い茂ってボロボロになっていたが、過去にここで交通整備があったことは明白であった。
歩きやすくなり、少しスピードを上げたところ、微かだが遠くの坂の上に第一村人の姿が見えた。
「あ!人だ!人がいるよディグ!」
と、制止する隙もなくウルリは大声を上げた。それに気づいたのか、第一村人はこちらに振り返り、驚いたように目を開いた。
「おや、どうしたんだろう?」
「あっ…おいっ!」
ウルリはとっとこ村人に近づいた。村人は依然として驚愕の表情を見せている。そこへ一言、二言かウルリが話しかけた。すると村人からも幾つか言葉が返り、会話が成立しているようだった。
「もう、先に行かないでくれよ…」
「あっディグ。ちょうどよかった!」
「何がいいんだよ?…っと、怪我人か」
「……」
見ると、その村人は同い年くらいの少女であった。傍らには籠と、幾つか野菜や木の塊のようなものが転がっている。足を摩っており、どうやら転んだらしかった。
「出血はあるけど…捻挫かな」
「治せる?」
「応急処置だけなら…」
ディグはポケットから救急道具を取り出すと、彼女の足の手当てを始めた。
「あなた、お医者さん…?」
少女が恐る恐る声をかけてくる。ディグの手を振り払ったりしないあたり、完全な余所者嫌いではないらしい。
「いや、少し知っている程度だよ…はい、終わった」
「あ、ありがとう…」
少女がすぐに立ち上がろうとしたので、慌ててそれを止める。
「完全に治ったわけじゃないんだから、安静にしないと。行く所があるなら送っていこうか?」
「い、いえ、大丈夫…でも…どうしよう…」
「何か困ってんのか?」
「あなた達、外の人でしょ?怪我を治してくれたことはお礼を言うけど…」
「でも、こっちもやっと人に会えたんだ、あんたが頼みの綱なんだよ」
「道に迷ったのですか?うう…どうしよう」
少女は「ううう…」と小さく唸った。それは厄介ごとに巻き込まれた気持ちを吐露する悪態ではなく、本気で申し訳なさそうに悩んでいる様子だった。
もし少女が誤解をしているのだとすれば、それはディグにとって好都合だった。顔を合わせるなりすぐに「余所者か!帰れ!」を決め込まれようものならお手上げだったのだが、思わぬ好機である。どう言いくるめようか考えていた矢先、ウルリが少女に向かって話しかけた。
「でもよかったー!早く怪我が治るといいな!」
「あ、は、はい…」
満面の笑みを浮かべるウルリに対して、少女はさっと視線を逸らしてしまう。その頬は少し赤らんでいるようだった。
「あの…もしよかったら、うちでお休みしていきませんか?すぐ帰すって言えば、お父さんも許してくれると思うんです」
「えー!いいのか?なぁ、この人ん家で休ませてもらおっか!」
「ちょっと、勝手に話進めないでくれる?」
予想外の展開に思考の整理が追いつかないディグ。それを余所に、ウルリはすさまじい勢いで少女と親交を深めていた。事前情報を一切説明しなかったのは思わぬ効果を示したようである。
「村では電気も通ってますから、電波も届くと思いますし…」
「わ~宿はあるかな?」
「宿は…ありませんけど、でももし日が暮れるようなら、お父さんに頼んでみます」
「わぁ!それ助かる!このまま野宿するのも楽しそうだけど、やっぱり布団が恋しいからな~」
「…ふふっ。でも期待しないでくださいね。今日はお祭りの日で、みんな気が立ってますから」
少女は微かに笑って、周囲に転がったものを籠の中に集め始めた。
おそらく採ったばかりの野菜や山菜がみずみずしい光を放っていた。ディグも手伝いのつもりで拾おうとして、黒い塊を触った。
それは一見無秩序に削り出されたものに見えたが、触った感触は動物の皮のようだった。表面はまるで木のように乾いているのだが、妙な弾力も残っている。
すると少女が「あっ!」と声を上げた。
「それはダメ!!」
その形相はまるで畏怖のものを見るようで、触ってはいけないということを暗に思わせた。ディグはすぐにそれを少女へ手渡そうとするが、彼女はそれよりも先に奪い取った。
「ご、ごめんなさい。私が言ってなかったから…せっかく親切にしてくださったのに」
「いや…こっちも聞かなかったから」
「いえ、いいんです…どうしよう…どうすれば…」
少女はうわ言のように呟き始める。それを耳にしたウルリは、思わず顔を引き攣らせる。
「なぁ、お前大丈夫か?怖いぞ」
「あっ…やだ、ごめんなさい!気にしないで」
少女は笑って、よろよろと立ち上がった。ディグは荷物をウルリに預け、彼女に肩を貸す。少女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ありがとうございます…うちの家までは、まだもう少し歩くんです」
「こちらこそ、すごくありがたいよ」
「な!」
少女は再び照れたような笑顔を見せた。しかし、そこにはどこか影があるようだった。それは彼女の先程の異様な口走りが、頭の片隅に残っているせいかもしれない。ディグはなるべく無心を装い、少女の案内に従った。