#3 秘密の村
坂を下り終えた先には幾つかの家屋が群れを作って建っている。中には茅葺の屋根もあって時代を感じさせるが、ライフラインはしっかり整っているようだった。
木製の電信柱が広い間隔に立ち並び、その一つ一つに古そうな豆電球がくっ付いている。中には既に割れてしまっているものもあった。
家屋の周りには田畑があり、そこには作業をしている人の姿があった。鎌を携えた老人はこちらを見つけるなり驚愕の顔色に変わった。野菜を洗っている女性の傍を通りかかると、彼女はいかにも嫌そうに「余所者が来たわ」と言わんばかりの視線を送ってきた。
「ごめんなさいね。本当、こんな時だから…」
と、少女が申し訳なさそうに言う。
「いつもはみんな、優しい人なんです。お祭りが近いこともあるけれど…」
言いかけて、少女は口を噤む。どこか目が泳いでいて、バツの悪そうにしている。
「だけど、何?」
「い、いえ。失礼かと思って…」
「もしかして、俺が日本人じゃないから警戒してる?」
「えと…あの」
どうやら図星のようで、少女は動揺した。
「気にしないで。そういうのは慣れてるから」
ディグは祖父の仕事を継ぐために日本へ渡ってきた身である。文化などの違いで苦労したことは幾つもあったが、今ではその殆どを克服している。とはいえここは彼にとって異国の隔離社会ともいえる集落。稀有の目で見られるのは慣れていても、やはり少しは身構えてしまっていることは否めなかった。
「あ…そこの角のが、うちの家です」
少女は空気を切り替えるように、少し大きな声を上げた。見ると、目の前に立派な木造建築が佇んでいた。
「うわ、でか!いい家に住んでるなぁ」
ウルリが感嘆の声を上げる。それを聞いた少女はまた可愛らしく頬を染めた。
「すぐ開けますね。と言っても、うちの村では鍵なんか付けないのだけど…」
ディグに支えてもらいながら、少女は玄関の引き戸を開ける。カラカラと音を立てて開いた戸口の向こうから、やや湿ったような木の匂いがした。
少女は「上がってくださいな」と声をかけるが、それよりも早くウルリは玄関に侵入していた。ディグは彼の非礼を詫びながら、少女の招きに従って入った。
そろそろ昼に差し掛かる時間とはいえ、部屋の中は妙に薄暗かった。どうも目に触れる窓という窓が閉め切られているようで、軋む床と相まってお化け屋敷のような雰囲気を生み出していた。
「ここで少し待っていてくれますか?」
そう言うと、少女は襖を開けて部屋の一つに入った。ぱたん、と閉じられると、直後くぐもった誰かの声がボソボソと聞こえてきた。
ディグは付けていたヘッドホンを外して、その会話を聞き取ろうと試みた。彼の耳は常人以上に良いので、人の声を鮮明に拾うことができた。
「桃花、遅かったね。どうしたんだね?」
「お父さん、お客さんなの。遠くから来て、道に迷ってしまったみたいで…」
「客?こんな時期に、またどこかの取材番組が首を突っ込みに来たのか?」
「違うのよ。二人組の男の子で…私と同じくらいの…。怪我をみてもらったから、お礼がしたくて」
「なに、お前怪我をしたのか?大丈夫な怪我なのか?」
「ええ。ほら…」
「…なるほど、わかった。二人をここへ呼びなさい」
「わかったわ」
すっと襖が開いて、少女が手招きをする。会話を聞いていたディグは素直に従った。その後ろから、事情を知らないウルリが続く。それゆえに彼は緊張して、少しばかりびくついているようだった。
「ええと…君達が、そうだね?」
咳払いをして、少女の父親が声をかけてきた。彼は四十代くらいの男性に見えるが、痩せていて弱弱しく、そのせいか布団から上体を起こした格好で二人を出迎えた。
「はい。急な来訪ですみません」
ディグは深く頭を下げる。ウルリもそれに倣った。
「道に迷って困っていたところ、彼女に助けてもらいまして…少しの間休ませてもらえるかもしれないということで、伺いました」
「ふむ、それは大変だっただろう。この時期は熊が出るからな…襲われなくてよかった。うちでよければ、ゆっくり休んでいきなさい」
「やった!ありがとう!」
真っ先にウルリが声を上げた。それを聞いた桃花の父親は、ゆっくり微笑んだ。その笑い方には親子の遺伝を感じさせた。
「ところで、桃花の怪我をみてくれたのは、そっちの君だね?」
「あ、はい」
「どうもありがとう。数ヶ月前に妻をなくして、もうお互いしか残っていなかったんだよ。桃花までいなくなったら私は…」
「もう、お父さん!そういうこと言わないで!」
桃花は叫んだ。声に怒気を混じらせていたが、どこか寂しそうな悲鳴でもあった。
「すまんなぁ、歳を取るとすっかり涙脆くなって。だが、お前が嫁に行くまでは死なんぞ」
桃花の父親は細い腕を振り、丸めたこぶしをぐっと突き上げた。彼の娘は「わかったから、ちゃんと寝てね」と言って彼を窘めると、布団にゆっくりと横たわらせた。
「休むには二階を使ってください。外出は、しない方がいいと思います。長居するにしても、お祭りの始まる時間までには出発してくださいね」
「どうもありがとう」
桃花に案内され、二階へと通される二人。
二階は全ての襖が解放され一つの部屋を形成しているが、やはり窓が締まっているので薄暗かった。彼女が降りていくのを確認すると、ディグはすぐに携帯電話を取り出した。
「電波来るのか?」
ウルリは既に荷物を放り出して、寛いでいた。ゴロゴロとディグの足元に転がり、彼を見上げている。
「いや、録音だよ」
ディグは静かに答えた。
「証拠だけでもいいからって、掃石さんが言っていたからね」
「い、いつの間にそんなことを…」
「できれば穏便に解決したいからね。あの子も良くしてくれているけど、村の人だし、すぐ撤退した方がよさそうだ」
「えー!祭り見ないのか?オレちょっと見たいんだけどなー」
「村の雰囲気からして、おそらく楽しい祭りじゃないぞ」
「そうかなぁ」
ウルリは不服そうな顔をした。
「ディグはさ、疑り深いんだよ。冗談を心から楽しめないタイプだぜ」
「あのさ、最初に言ったけどこれは仕事なんだよ。デスクワークと違って危険もある…ってそもそも俺が最初に言ったこと覚えてるか?」
「いんや、全然」
「はぁ…だろうな」
ディグは嘆息した。残念ながら、これは事情を説明しなかった弊害である。
「とにかく、もうちょっと大人しくしてくれ。何か気が付いたことがあったら、絶対俺に知らせること。いいな?」
「あー、そういえばそんなこと言ってた気がする。うん、りょーかい」
絶対に了解してなさそうな態度で、ウルリが手を上げた。
ディグは心底に不安が募るのを感じた。ウルリは身体的に人より強く、そして特殊な能力も持っている。しかしそれが慢心となっている節があった。その慢心がいつか命取りになると思うと、ディグは小言を言わずにはいられなかった。
「もう、何かあってからじゃ遅い――」
突然、ディグが言葉を切る。それに気づいたウルリは、怪訝そうに彼の顔を再度見上げた。
「どうかし…」
「しっ」
ウルリの言葉を遮り、ディグは階段へと近づいた。階段は部屋の外にあり、玄関のすぐ傍に繋がっている。床の軋みに気を付けながら、彼は耳をそばだてた。