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​#1 怪異の前日

地球外生命体調査機関。

それは日夜を問わず出現する未知の生命体を相手に活躍する組織である。長いので通称“ELIO”と呼ばれている。ここでは様々な役割を担う職員達が未知の存在の脅威に備えて待機し、地上の平和を守っていた。

しかし、敵もそう簡単に姿を現すことは少なく、時として人間社会に巧みに溶け込み、水面下で事件を拡大していくものもいる。そんな場合に外生の調査部門は出動するのだが、今回、なかなか洗い出せないケースがあった。ELIOの各部門の重鎮を中心に揃えた総司令集団“中枢”は、やむを得ず、ある人物に白羽の矢を立てることに決めた。

 

その日、ディグが部屋に戻ってくると、中に掃石が待っていた。何か用があってきたことは明白であったが、上座のソファで横になるという作法を無視した様子は、とても物を頼む態度には見えなかった。

白い髪――プラチナブロンドにヘッドホンを身に着けた姿が印象的な少年・ディグは、それを見てしばらく部屋に入るのを躊躇したが、やがて覚悟を決め、しかし溜息を吐きながら歩を進めた。

「よぅ。待っていたぜ」

掃石は持参してきたコンビニのサンドイッチを頬張りながら、炭酸飲料を持ったもう片方の手を振った。部屋の主より図々しい態度である。

「掃石さん…そこで何をしているんですか?」

「何って、見ての通りじゃねーか」

「見てわからないから聞いているんですが」

「いやいや、ほら、これを見てくれよ」

と、サンドイッチを持った手でテーブルを指す。ソファ二つに挟まれた長方形のパイプテーブルの上、A4サイズの書類の束が投げ捨てられたように置かれていた。ディグはそれを拾うと、表紙の文字を見た。

「芳賀農村…?この近くですか?」

「いや、いっこ隣の県にある。いわば秘境の村だわな」

掃石はサンドイッチを食べ終えると、炭酸飲料で喉を潤した。弾ける泡の音と甘い爽やかな匂いが部屋に広がっていく。

「住民はほぼ高齢者。獣道化した国道が一本近くを走ってるくらいで、外との交通は殆どないといっていいな。ちなみに特産品は、ここでしか採れない芳賀農椎茸」

「過疎の村ですか…嫌な予感がしますね」

そう言うと、話が早いとばかりに「おっ」と掃石が声を上げる。

「いやぁご明察。どうもEBE関連の事件が起こってるらしい。現在進行形で」

「そんなことだろうと思いました」

ディグは先程より深い溜息を吐いた。

EBEとは“Earth Baneful Element”の略称で、所謂「地球外生命体」のことである。そうは言っても有名なグレイタイプやタコ型といったようなものを指すのではなく、宇宙から飛来した未知の存在を総称しての言葉である。それらの持つ形態や知性、能力、危険度は個体によって様々で、まさに未知数であった。

しかし、ディグはそう言った怪物を直接相手にするのが仕事というわけではなかった。どちらかというと彼は裏方であり、負傷者を処置する医療部門に所属している。戦闘は本来、防衛部門の仕事なのだ。

長い付き合いになる掃石はそれを知っているはずなのだが、そのまま話し続けた。

「もう六ヶ月くらい前なんだけど、どうも調査部門だけでは尻尾を掴めないらしくて、EBEの索敵能力者…えっと、お前の弟を導入してみようって話になったんだ」

「中枢は、随分あいつのことを信頼するようになったんですね」

「いやいやそう怒るなって。調査班の無能さに免じて憐れんでやってくれよ」

「仕方ないですね…」

そうは言いつつも、内心では不服感が残っていた。

中枢――つまりELIOの上層部はディグの弟である“ウルリ”のことをとても煙たがっていた。もちろんそれは、彼の過去の記録から見た危険性を考慮しての妥当な評価だとは思うが、その対応があまりにも冷酷だったのだ。これについて当の本人があまり意に介してないことは幸いと言える。

掃石も勿論それは知っていた。しかしどういう手段を使われたのか不明だが、中枢から説得するよう言われたのだろう。彼の申し訳なさそうな顔を見て、ディグも心中に沸き立つ気持ちを抑え込んだ。

「それで、どういう事件なんですか?」

「失踪事件だよ。村の周辺に近づいた人達が、なぜか軒並み戻ってきてない」

「村の人が関係している可能性はないのですか?」

「そりゃ怪しいと思ったさ。けど、厄介なことに村人達は、これを神隠しだと言い張るんだと。成り行きに任せるとの一点張りで、信じられるか?しかも余所者を嫌うもんだから説得にも応じないし、実のところ調査に行った職員はみんな追い返されてるんだ」

「なるほど、それは厄介ですね」

「信心深いお方が相手だと特にな」

「それ、俺達が行っても大丈夫ですかね」

「んん…いい顔はしないだろう。けど、完全武装した大人が大人数で行くより、軽装の若者の方が警戒心は薄れるだろうさ」

掃石は肩を竦めて言った。

「あっ…とそうだ。これ覚えといて欲しいんだけど」

「なんですか?」

「芳賀農村では毎月このタイミングに祭りをやるんだよ」

「祭り、ですか」

「そう、村の神様を祀る祭りだとか…。とにかく余所者を特に入れたくない時だと思うから頑張ってくれな」

「それならもっと後に行った方がいいんじゃないですか?わざわざ警戒しているところへ行くのは」

「中枢が睨んだ失踪のタイミングとしては一番濃厚なんだって。証拠を掴むだけでもいいんだ、頼むよ!」

「はぁ…」

掃石はソファの上で両手を重ね、拝むように懇願した。それを魅せられて、複雑な顔をしながらディグは再び溜息を吐いた。

 

今日の職務を終え、ディグは週末の身支度をしていた。掃石が居座っていた仕事場の隣には、彼の自室があるのだ。

ベッドの上に衣服やら必需品やらを広げて置いていると、どこから物音が聞こえてきた。不審がって上を見上げた瞬間、ダクトの金属板が勢いよく蹴り落された。突然の出来事に目を見張っていると、そこからひょいと、ディグと同じ年頃くらいの黒髪の少年が降りてきた。

「よぅ!何してんだそれ?」

と、元気よく発声したかと思うと、それに答えさせる間もなく彼は獣のように走り回り、ベッドにダイブしてきた。その上でゴロゴロと暴れるものだから、用意していたものが辺りに飛び散り、遂には旅行鞄まで蹴り落された。

しばらく呆気に取られていたディグだったが、鞄の落下音で我に返ると、いつの間に自分の腰にしがみついていた少年の頬を叩いた。

「いってぇ!あははは」

「笑い事じゃないよ、まったく。全部落っことして…ていうかどこから入ってきてるんだよ」

「あははは!ごめん!ダクト!」

少年はそこからするりと抜け出し、床に転がった。とてつもない躁状態に、ディグの顔が思わず引き攣る。しかしこれは今に始まったことではなく、むしろ平常運転である。

「もう…しっかりしてくれよウルリ。高校生にもなって」

「高校行ってないもん、オレ」

「そうだけどさ。もっと年相応に振る舞えってこと」

「え~。そんなこと言われてもなぁ」

ウルリは床から跳ね起き、ディグの隣に座る。

「年相応にしたら、外に出て、学校に行ってもいいのか?」

「他にも条件がついてくるだろうけどね。お前は人より強い分、体調管理をしないといけないから」

「めんどくさいなぁ」

「そう言ってると、連れて行ってやらないぞ」

「えー!そんなぁ!」

バタバタと暴れるウルリを余所に、床に散らばった物を拾い集めるディグ。衣服はきちんと畳み直して、他の物と一緒に鞄の中に詰めていった。

いつの間に気が変わったのか、それを興味深そうに見ていたウルリは、ごろんとベッドに寝転がって言った。

「なぁ、どこか行くのか?学会か?」

「いや、仕事だよ。明日、現地調査に行かないといけなくなってね」

「寂しくなるな…」

「何言ってるんだ。お前も行くんだぞ」

「えっ!?」

ウルリが飛び起きる。赤色と金色の瞳が大きく煌めき、何かとても素晴らしいご褒美を与えられたかのような反応を見せた。

中枢の取り決めで、ウルリの外出は必要時以外禁止されていた。なんなら普段待機しておくはずの地下の隔離寮から出ることすら許されていないのだが、今回のようにしょっちゅう脱走していた。常に狭い部屋の中にいなければならないという圧迫感が彼を突き動かすのだろうが、それをする度に緊急警報が鳴り、一部の施設機能を麻痺させてしまうのは中枢にとってEBE事件以上の悩みの種であった。ちなみに今月に入り、脱走した回数は二十回以上に及んでいる。

そんなウルリだからこそ、ディグが何気なく放った言葉は行幸に等しかった。

「本当に!?行っていいのか~!?」

「言っとくけど旅行じゃないぞ」

「うん!あんなせまっ苦しいところにいるよりかは断然嬉しい!」

「ん、そう言ってくれると助かるよ」

ディグはふとテーブルに目をやった。そこには掃石から受け取った村の資料がある。

彼は、仕事の事情を話すかどうか迷った。連携が物を言うチーム行動では、情報共有しておくに越したことはない。しかし、事件の特殊性を考えると、嘘を吐いたり誤魔化したりしなければならないこともあるだろう。感情がもろに出てしまうウルリでは、それができるかどうか不安だった。警戒心の強い村人を、懐柔しろとまでは言わないが、せめて穏便にことを済ませられるだけの能力が、果たして彼にあるのだろうか、と。

「なぁ、どうしたんだ?お腹でも痛いのか?」

ウルリが、怪訝そうにディグの顔を覗き込んでいる。もちろん彼の心情を察してはいないのだが。

「ああ、何でもない。ところで、行く所のことなんだけど」

「おぅ!どこに行くんだ?」

「……実はお祭りがあるらしい」

「え!マジで!屋台出るかな!?」

「いや、屋台は出ないと思うけど」

「へ~どんな祭りなのかな。楽しみだな!」

「ん…」

目を輝かせるウルリに、ディグは敢えて説明を省くことにした。知らないというリスクはあるが、自らぼろを出すよりはずっと安心だと思ったからである。

「あ、あと、勝手に人に話しかけたりするなよ。何か行動する時は、俺に知らせること。いいね?」

「おー、なんか修学旅行みたいだ」

「お前行ったことないだろ」

ディグは苦笑した。引き攣った笑みの裏では、複雑な思いが絡み合っていた。

単身あるいはチームでの野外活動には幾度か経験があるものの、これほど不安に思ったことは初めてだった。未知のエリアに行くことへの不安やうまく潜入できるかの不安、援護のない不安に加えて、ウルリをコントロールしなければならないという不安が積み重なる。吐き出しそうになるのを、彼はぐっと抑え込んだ。

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