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​#2 機械の少年、クロナ

ディグが自室に戻ると、案の定ウルリは待っていた。来客用のソファにもたれかかっていたが、ディグともう一人が入ってくるなり、楽観的な表情が消え、彼は眉をひそめた。

「誰?そいつ」

言うと、少年はディグの後ろに隠れた。今にも逃げ出したいという気持ちが表情から伝わってくる。

ディグは少年と同じ目線までしゃがむと、そっと彼に話しかける。

「大丈夫、俺の弟だ。いいやつだよ」

「ねー誰だよ。教えてよー」

 

しゃがんでいたディグの背中に、ウルリが飛び乗った。重みで体勢が崩れ、思わず片膝をつく。

「もう、子供みたいなことするなよ...」

「オレまだ子供だぜ?20歳いってないもん。って、それ言ったらディグも子供じゃないか~」

「そうだな…っと」

離れようとしないウルリを、仕方なく背負ったまま立ち上がるディグ。そのままソファの縁に立つと、跳躍し自身の体重を乗せて、背中から倒れ込んだ。当然、ウルリはディグの下敷きになり、同時に加えられた重みで「ぐはぁ!」と叫び声をあげた。

「ごめんね。こんなやつだけど根は優しいから」

そう言って、少年に向き直るディグ。しかし惨状を目の当たりにした少年は、顔を引き攣らせて固まっていた。

「...まぁ、これからよろしくね」

 

ディグはソファの上に伸びるウルリを隠すように立って、握手を求めた。それに躊躇った様子を見せたが、少年は応じ、ぶるぶると震える左手を差し伸べた。

「そういえば、名前を言っていなかったね。俺はディグ。後ろのはウルリ。君は?」

「あっわっ...ボクの名前...?」

初めて、少年が言葉を発した。しかし戸惑っているようで、なかなか答えが帰ってこない。

「名前がわからないのか?」

「い、いえ、そういうわけではないのです」

少年はふるふると首を振った。

「聞かれたことがなかったので、答えたことがなかったのです」

「繰信田さん達とは喋らなかったのか?」

「はい...」

少年は暗い表情をみせた。

確かに、繰信田から受け取った分厚い書類には、彼の名前を記述していなかった。代わりに用いられていたのは、実験番号のような長い数列で、政府の研究者達の彼に対する見解が伺えた。

「なるほど。...ここは君がいた場所と違うから、もっと楽にしてくれていいよ。少なくとも危険な実験をしたりはしないから」

「ほ、本当ですか?」

少年は語気にわずかな明るさを混じえて言った。ディグが頷くと、彼は安心したように息を吐いた。

「よかった...次は何をされるかと、気が気でなかったったんです」

「ほっとしたところで、教えてくれる?君のことは番号じゃなく、ちゃんと名前で呼びたいからね」

「は、はい。ボクはクロナといいます。よろしくお願いします...」

少年は、深々と頭を下げた。ディグもそれに続いて、頭を下げる。

「じゃあこれから幾つか質問するけど、いい?」

「はいっ。よ、よろしくお願いします!」

逐一頭を下げるクロナ。その丁寧さと謙虚さは、ソファで伸びている誰かさんに見習わせてやりたいくらいであった。

ディグは仕事場のデスクからメモ用紙を取り、ソファの空いているところへ座るようクロナに促した。クロナは素直に従うと、ディグもその隣に座る。

「とっ...ところで、あの人、ウルリさんは、大丈夫なのですか?」

と、クロナは前方のソファに横たわるウルリを見た。油断していた矢先のダメージが深く効いたらしく、気絶しているようだった。

「大丈夫、丈夫さもあいつの取り柄だから」

「そ、そうですか...」

 

三十分間に及ぶ問答は、全て資料にはない新規記録となった。そもそも資料に書かれていたことは、主にクロナの身体能力を測るもので、性格や生い立ち、記憶を解いたものではなかった。

ディグはたどたどしく語るクロナの言葉を、一つ一つ丁寧に記録していった。メモ用紙は膨大に消費されたが、彼の持つ貴重な情報に比べれば安い代価であった。

「それじゃあ、君は、気がついた時には掘り起こされていたんだね」

「はい。それまではずっと、たぶん、寝ていました。それ以前の記憶がないので、なぜあそこにいたのかは、ボクにも分かりません...」

「十分だよ。ありがとう」

ディグがそう言うと、クロナは表情を綻ばせた。僅かではあるが、怯えた様子を見せることも少なくなったような気がする。

 

「かなり発達した技術の存在が示唆されるな。それがオーバーテクノロジーなのか、外部から何者かが持ち込んだのかはわからないけど...」

「ボクは宇宙人なのでしょうか…?」

「いや、DNA鑑定上、それはないと思うよ」

「では、人間...ということでしょうか」

クロナは、右腕を動かした。がしゃりと音を立てて持ち上がる腕は明らかに人のそれではない。

資料には、彼の生体を調査した記録が幾つもあった。それに書かれていた内容は、以下の通りである。

クロナの肉体は地上に最も繁栄するヒト科生物と同一であり、その肌や眼球、臓器など、“機械化していない部分”は全て、一般的なホモ・サピエンスであった。

しかし、機械化している右半身はそうではなかった。右の眼球は高感度カメラのような性質を持つガラスレンズらしきものに置き換わり、通常捉えられない電磁波をも捉えた。右腕と足はチタンに近い性質を持った、しかし非常に高い硬度を示す、未知の金属が代わりを担っており、それは通常通りの歩行能力を持つが、義手や義足より遥かに優れた耐久性を示した。驚くことに、これらには運動神経や血管の代わりを果たすシステムが備わっており、人間本来の神経血管に見事にリンクしていた。また、彼の身体のすべては見た目の差異に関わらず同様のシステムや性質を共有しているようで、人体には危険な毒物をも浄化できたし、高いところから落下してもほとんど無傷であった。

人間離れした数々の記録からして、繰信田達も彼のことを「これ」と呼んだのだろう。感情を有する機械...いわゆるアンドロイドは、最早SFの中での存在ではなくなっている。

しかしディグには、これらの記録をもってして彼を人間でないと決めることはできなかった。

「あの、何かわかりましたか...?」

 

不安そうに見上げるクロナ。彼自身、自分が何者なのか理解していないために、浮き足立っているようだった。

ディグはメモを束ね、膝の上に重ねる。

「...人間がまだ自分の身体のメカニズムを解明できていないように、君のことをすべて知るのだって一筋縄じゃいかない。とりあえずはここで暮らしてみて、少しずつ掘り下げていこう」

「わ、わかりました」

しゅんと、肩を落とすクロナ。しかしディグに不信感を抱いてはいないようだった。

進展はなかったものの、信頼関係は着実に構築されつつあった。それは目的でなかったにしても、大きな収穫と言えよう。医学においても、医師と患者の信頼関係は重要な位置づけにあるのだ。

「じゃあ、ちょっと内容をまとめてくるから、しばらく待っていて。その間は部屋の中を好きに見て回ってていいから」

「は、はいっ」

ディグは部屋の対岸にある仕事用デスクに向かうと、パソコンを起動し始めた。書類やら本やらが乱雑に積み上がった卓上に、腕でものを押しやって無理矢理スペースを作ると、そこにメモの束を置いた。

やがてカタカタとキーボードを叩く音が部屋中に広がる。それ以外の物音はほとんどなく、クロナも一人になった緊張感が相まって、無意識に息を止めていた。

その時、むくりとウルリが起き上がった。ディグに押し潰された腹を押さえ、気持ち悪そうに顔を歪めている。クロナはそれを見て、引きつけを起こしたように体を震わせ、硬直した。

「おえぇ...ひどいことするなぁ。あとで覚えてろよ...!」

う~っと唸りながらウルリは呟いた。

頭を掻き、もう一度腹をさする。そうしたところで、ウルリは漸く目の前のクロナに視線を向けた。

赤と金色の瞳と視線が合い、クロナは思わず「ヒッ」と声を漏らした。それを聞いてか、ウルリはパイプテーブルに膝をついて、身を乗り出してくる。クロナは身を縮こませた。

 

「なんだよ、オレなんかした?」

困ったような表情で首を傾げるウルリ。身を丸めたクロナは、怯えるあまり彼から顔を隠してしまっていた。その身体をウルリは指でつつくが、クロナはびくりと身を震わせるだけでそれ以上の反応を見せなかった。

「なーディグー!こいつこんなんなっちゃったんだけど、どうしたらいい?」

「何か怖がらせるようなことをしたんじゃないだろうな」

「してないよ!だってどうしたらいいかわからないんだもん」

「じゃあまずは、自己紹介して、スキンシップしてみて。...力ずくはやめろよ」

ディグにそう言われて、ウルリはすぐに従った。テーブルから降りると、クロナの傍にぴょんと座る。

「よっし、じゃあ改めて自己紹介しよう!ほら、顔出せ!こっち見ろ!」

「ヒィッ!や、やめてください!」

ウルリはぐいぐいとクロナの腕を引っ張った。クロナは怯えて抵抗するが、ウルリの力の強さには適わない。頭を左右の手で抱え込まれ、ウルリと顔を合わせる形になって、引き寄せられる。

「えーと、ん?うわ!お前なんで泣いてんだ!?」

見るとクロナは、大粒の涙を零していた。右目の機械からは何も出ていなかったが、その分を足し合わせたかのような量が、左目から溢れ出している。彼は声を殺し、大声をあげまいと歯を食いしばっていた。それは、沸き立つ恐怖心を抑え込んでいるようにも見えた。

「おーい、泣かせるなってば」

呆れたようにディグが言う。ウルリは慌てて弁明しようとするが、クロナの様子はますますひどくなる一方だった。鼻水を垂れ、嗚咽を繰り返している。ウルリは思わず彼を解放した。

「ご、ごめん。自己紹介がしたかっただけなんだけど...やり過ぎたかな?」

蹲るクロナに、ウルリはおろおろと話しかけた。クロナからの返事はなく、代わりにすすり泣きの声が聞こえてきた。

「ディグ~!」

「もう、やり方が荒いんだよお前は」

嘆息して、ディグが振り返る。

背中を撫で、優しく宥めると、クロナは漸く顔を上げた。顔面からの水分消費は止まっていなかったが、彼はしゃくり上げながら声を出した。

 

「す、すみません!思わず感極まってしまいました!き、気にしないでくださいっ!今度は...大丈夫でずっ!」

「いや、その前に落ち着いて?ほら、鼻水拭きなよ」

「うぅ、ずびばぜん...」

苦笑するディグからティッシュを受け取ると、クロナは片手で器用に鼻をかんだ。袖で涙を拭きあげ、息をつく。

「はぁ...本当にすみません。ボク、自分で言うのもなんですけど、すぐ泣いてしまって...治したいと思っているんですけど...」

「いや、まぁ、君はまだ若いから仕方ないと思うよ。ウルリ、お前は年上なんだからしっかりしなさい」

「ご、ごめん...」

ディグに怒られ、萎縮するウルリ。クロナにも「ごめんな」と声をかける。クロナはまだ少し震えていたが、「もう、大丈夫です!」と答えた。

 

「今度こそは仲良くしてくれ。いいな?」

「うん!頑張る!」

ディグは再びデスクワークに向かった。作った拳を振り下ろし、ウルリは気合の一声を発した。

ウルリはELIOにきて以来、ディグ以外の若者とのコミュニケーションをとった経験はなかった。ましてや、自分より年下の相手など空想の域である。だからこそ、クロナとの会話は彼にとって容易なものではなかった。

クロナも、もう平気だとは言っているが、内心では恐怖と戦っている状態だった。相手は自分より年上。今まで出会った人間はもっと年上であったが、コミュニケーションは散々たるものだった。ディグと会話を交わして、少しは勇気を持てるようになったものの、今回はそのディグさえ手を焼くウルリが相手である。どうしたらよいのか、は、クロナにも言えることだった。

 

「えーと...そうだ!とりあえず自己紹介な?オレはウルリ!よろしくな!」

「は、はい。よろしくお願いします!ボクはクロナといいます!」

第一声は勢いだけは悪くないものの、お互いぎこちないものであった。ぎくしゃくとした握手を交わして、二人はなぜか止めていた息を吐いた。

 

(うわ、これきっついぞ...!なんで?!オレ普通に自己紹介してるはずなんだけどな...!?)

(うう、今の、おかしいところなかったかなぁ。ディグさんの弟だから怖い人ではないはずなんだろうけど、うう、怖いなぁ...なんで思っちゃうんだろう)

互いに背を向けて、心中に思いを吐露する。二人はもう一度、そろそろと視線を合わせようとするが、よそよそしさが収まらない。

ウルリは自然と震え出す腕を掴んで抑え、「くそっ!静まれオレの右腕!」と叫んでいる。対するクロナは、ひたすらおろおろするだけで、話しかけるチャンスを見失っていた。

途中から様子を見ていたディグは、その異様な光景に苦笑していた。

不意に、 鳴り響いたPHSの発信音が、二人の緊張を最大限に引き上げた。ウルリとクロナは、悲鳴を上げて同時にソファから転げ落ちた。

 

「なっ!なっ!何!?聞き覚えのある音だけど何!?」

「ピッチだ。...なんかごめんな」

気が動転して声を荒らげるウルリに対し、ディグは笑いを堪えながら言った。口元を抑えてなんとか静めているようだが、肩が笑ってしまっている。

ディグはPHSを手に取った。

「はい、エレメントリです。え?...ああ、それは...え?...今からですか?」

困ったように眉をひそめるディグ。

「わかりました。向かいます...あの、預かった子のことなんですけど...ああ、はい。わかりました...」

「なんだなんだ?」

 

通話を切ると同時にウルリが声を上げる。

「ディグ、また呼び出され?」

「ああ、EBEの修繕依頼。...人手が足りないってんで、手伝えって」

ディグは深く溜息を吐いた。休みはこれで完全に返上となった。

「じゃあ、オレ達はどうしたらいいんだ?ここで待ってたらいい?」

「いや。ちょうどいいからお前の寮に行こう。近くだし」

「ええ!?なんで?」

「なんでって...本来お前はこっちに来れないはずなんだぞ。こっちにいる方が変なの」

「そんなぁ!」

ウルリは二度目の悲鳴を上げた。しかしディグは意に介さず、逃げようとする彼の身体をひょいと担ぎ上げる。

「あの、ボクは...?」

「クロナも一緒においで。中枢が、ウルリと同じ寮に住まわせろって」

「え?!」

思いがけない言葉に、ウルリとクロナは同時に叫んだ。二人は顔を見合わせ、先の見えない状況にお互い言葉を失った。

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