#5 怪異出現
賑やかな音が脳内に響く。それは不規則なリズムで打ち鳴らされる太鼓の音であった。続く意味不明なお囃子と笛の音から、件の祭りが始まったようである。
ディグは納戸のような場所に閉じ込められていた。窓は完全に閉め切られており、扉の位置も分からないほどの暗闇を形成している。ただ、外の音が聞こえるくらい壁は薄いようで、なんとか様子を伺うことはできそうだった。
ディグは建物の隅に寄り、壁に耳をつける
手持ちの道具は予想通り全て没収されてしまっていた。ヘッドホンを取られてしまったのは残念だったが、壊されたり傷つけられたりするよりはマシだった。あれは研究部門の特注品で、世に二つとない逸品なのだ。
しばらくすると誰かが納戸の方に近づいてきた。その足音は二つあり、土と枯葉を蹴り散らして歩いている。耳を澄ますと、二人の話していることがはっきり聞き取れた。
「いやぁしかし今月はラッキーだったねぇ」
「ああ…また一ヶ月寿命が延びると思うとね。あの子には悪いけど…」
「あの方の決定だからねぇ。僕らじゃあ逆らえないよ」
二つの足音は談笑しながら遠ざかっていった。その声色はこれから起こることを完全に理解しているのか、世間話でもしているかのように平静であった。
「冗談じゃないぞ、全く」
ディグは思わず独り言を呟いていた。
その時である。
「ええ、冗談ではありません。これは神託なのです」
バタン、と納戸が開け放たれ、同時に光と声がなだれ込む。逆光でよく見えなかったが、それは気鳥の声であった。
「時間になりましたので、お迎えにあがりました」
にっこりと微笑む気鳥。声は至極落ち着いていて優しいものであったが、気味の悪いほど吊り上がった口角と虚ろな瞳を見る限り、かなり重症な狂気に取りつかれているようだった。
「嬉しくないお迎えだね」
「おや、そうでしょうか。神の世界に行けるのですよ?あなたはもっと喜ぶべきです」
気鳥の背後から二人の男性が出てくる。男達は機械のように動いてディグを捕まえると、強引に納戸の外へ引き出した。その後に気鳥が続く。
「今月の祭壇は素晴らしい出来になりました。ウツボ様もきっと満足なさられるでしょう」
「ウツボ様って、なんなんだ?神様なのはわかったけど、なんの神様?」
「あなたがその名前を口にすることは許されていませんよ。しかしまぁ…冥途の土産ということで、それくらいは教えてさしあげましょうか」
気鳥は二人の男に指示をすると、ゆっくりと歩き始める。指示を受けた男達はディグを捕まえたまま、気鳥の歩行に従った。
村全体の異様さに感化されたかの如く、山道は不気味なほど静かであった。月がないため辺りは完全な闇に包まれており、気鳥達の手元で揺れる提灯の朧な光が余計に不気味さを増幅させている。道を歩いていると、左右に同じような提灯を持った村人達の行列が現われた。彼らは一様に機械的な動きで行進していたが、表情は虚ろながらもどこか楽しげな様相を含んでいた。
「ウツボ様は、我々の神様です。たくさんの恵みを与えてくださる、言わば母親のような存在…」
気鳥は歩きながら、淡々と語り始めた。
「あの方は芳賀農村の反映を長く支えました。厳密には、あの方がもたらした宝箱による繁栄でした。私の先祖は代々村の祭祀を務め、村長でもありました。ウツボ様の言う事を守って、あの箱をずっと大切にしてきたのです…なのに!」
突然激情を膨らませる気鳥。拳を固め、憎い物を潰すかのように振り下ろした。その様子と怒声に、周りにいた村人達がびくりと震えた。
「ウツボ様の箱はずっと秘密にされてきたのです。しかし、余所者が先祖に黙ってそれを盗み出した!神の禁を破り、結果、箱は効力を失ってしまいました。悲しいことに、余所者のせいで、村は衰退の一途をたどる羽目になったのです」
悲し気に俯く気鳥。それに続くように、村人の中からすすり泣く声が沸く。
「私達は、箱の力を取り戻すために、余所者を屠りました。最初はただ、力を奪われたことへの復讐だったのかもしれません。しかし、私の代になってついにウツボ様は現れてくださった…私はこれが使命だと確信しました。余所者の首を捧げ、あの方の力を取り戻す事を」
「いや、それはウツボ様じゃない。あんた達は操られているんだよ」
「なんですって?」
ディグの反論に、気鳥は厳しい視線を向ける。
「ウツボ様の事を塵芥ほど知っただけの余所者が…あなたの言葉は、生贄を回避したいがための戯言にしか聞こえませんね」
「いや、そういう訳じゃなくて、あんた達の言うウツボ様っていうのは」
「静かにしなさい。もうすぐ聖域です」
ディグの言葉を遮り、気鳥は前を向いた。
そこには少し傾いた古い鳥居が、暗闇の中でぼんやりと浮かんでいる。そこから先には、苔むした階段が続いた。
「本来次の生贄は、ウツボ様自ら選ばれます。一度選ばれたなら、逃げ出すことはできません。必ず、ここへ引き寄せられ…祭壇の上で首を落とされます。その首を箱に納めれば…新たなる神の力として生まれ変わるのです。もちろん、何度か代替の方法を試しました…しかしこれ以外の方法では、箱は反応しませんでした。形式の真似事では、真の儀式とはならなかったのでしょう」
気鳥は長い階段を上がりながら、喋り続けた。
「しかし今まで捧げてきたものは、全てウツボ様の力を蘇らせるほどのものではありませんでした。それはなぜか?…私達の村の伝説に、力を失う時、箱の中から逃げ出したものがあるのです。それは人間の首だったのですが、ただの首ではなかったのです」
話しているうちに、開けた場所に出る。そこには無数の松明が建てられ、ぱちぱちと火花を放っている。それらの列が導く先にはまな板のような祭壇が設置され、そのそばでは白い箱が恭しく祀られていた。
「おや…これは、なんということでしょう」
気鳥が感嘆の声を上げる。村人達もそれに続いて、わぁわぁと口々に叫び始めた。中には畏敬を込めて手を合わせる者、地面に伏せて拝み始める者もいた。
彼らの視線の先、正面の祭壇の上に、いつの間にか金色の光が出現していた。それは一際眩しい輝きを放つと、その正体を現した。
燃えるような金色の光を纏い、銀色の細長い腕を幾つも持った、三メートルもあろうかという巨大な龍。しかしその頭はよく描かれる爬虫類のそれではなく、皮膚を鱗に覆われた人間に酷似していた。その顔は、ゾッとするような笑みを浮かべていた。
しかし気鳥は、それを嬉しそうに眺めていた。
「ウツボ様が生贄を捧げる前に降臨なさられるとは…こういうことは初めてですよ。やはりあなたの首こそが、神の力を取り戻すのにふさわしいのでしょう」
「どの首を差し出そうが一緒だと思うけどね…」
「いえいえ、あなたのそれは違います。なぜなら。箱から逃げ出したものは、あなたのような異国の人間の首だったのですから」
気鳥の表情が、怪物のそれと重なった。
恐ろしく歪んだ狂笑。怪物の意識が、この男に乗り移ったかのようであった。
しかしディグは、彼の人間性を失った表情を目の当たりにしても平然としていた。観念して現実を受け入れたからではない。彼の“狙い”が、怪物の後方へ迫ってくるのを分かっていたからである。
突如としてけたたましい声を上げる怪物。悲痛な、しかし怒りの込められた絶叫であった。村人達は思わず耳を塞ぎ、怪物の苦しみと同調するように身をよじり、崩れ落ちる。その隙に拘束を逃れたディグは、耳を塞ぎながらその光景を見た。
暴れる怪物の肩あたりに黒い獣が取りつき、爪や牙をこれでもかと食い込ませて襲い掛かっている。怪物はその肉を抉り取られるたびに叫び、振りほどこうとのたうつ。だが獣はしっかりとしがみついているため、なかなか離れなかった。
怪物は直接引き離そうと腕を伸ばした。獣はそれを素早くかわすと、大きく飛びのいてディグの傍に着地した。
「ちょっと遅かったけど、悪くないタイミングだったね」
獣に向かって、ディグは声をかけた。すると、強い警戒の姿勢を取っていた獣は、
「そう?ありがとう!ヒーローは遅れてくるものだからな!」
あっさり警戒を解いて、嬉しそうな声を上げる。その声は姿が違えど聞き覚えのある、ウルリのものであった。