#4 ディグ、捕まる
ディグは可能な限り階段の傍へ近づく。すると、玄関から幾つかの声が聞こえてきた。
「桃花ちゃん、余所者を見つけたのかね」
「…はい」
「しかも異国の人間だろ?下手に扱うと騒ぎ立てるぞ」
「いえ…あの人はそんな人じゃ」
「ちょうどいいじゃないですか。今夜は祭りですから」
「納得なさられるか?」
「受け入れます。むしろ喜ばれるでしょう」
「そうだな。なんたってウツボ様は…てっ!な、何するんだよじーさん」
「その名を軽々しく口にするな。まったくこれだから若造は」
「あの…お茶でもいかがですか?お父さんもみなさんと会いたがってましたから」
「そうするかね。まったくいい子だよ桃花ちゃんは…」
声の主たちは、やがて玄関を抜けて家の中に入ってきた。彼らは先程ディグ達が通された、桃花の父親がいる部屋へと入った。そして出迎えの声が上がり、騒がしさが増した。
ディグは更に階段へ近づく。付いて来ようとするウルリを押し止め、彼は盗聴を続けた。
楽しげな声は四つ。うち一つは桃花の父親のもので、残る三つは来訪者達のものであった。桃花の父親は元気を取り戻したように、嬉しそうに談笑していた。
「しかし、おじさんが倒れたって聞いた時は驚いたよ」
元気な若者の声がする。彼は三人の中では一番年若く、口調も明るかった。
「奥さん、まだそこに…?」
「いや、もう旅立たれました。尊い方の元へ行くのです、怖いことはありません」
落ち着きがありながらも鋭い口調の者が答えた。声は若いが、村の重鎮を預かる身なのだろう。
「そう、あの方はきっと導いてくださったはずだ…」
最後に声を発したのは、一番年老いた者だった。先程若者を叩いた、信仰心に篤い老人である。
「ああ、妻も喜んでいると思う」
桃花の父親が苦笑していった。言葉には少し感情がないようようだった。
「うちには桃花がいる。辛くても耐えられる…」
「お嬢さんの時期は、少なくともあなたの生きているうちはこないでしょう。あの方のお言葉ですから、間違いありません」
「それを聞いて安心したよ」
桃花の父親は絞り出すように答える。
「ところで…今月は」
「ああ、それはもちろん決まっていますよ」
「ええと、硲谷さんところの息子さんだっけ」
「いいえ。硲谷家の方々ではありません」
「じゃあ…まさか」
「本当にいいお嬢さんですよね。代わりを見つけてくるなんて。しかもあんな…」
「気鳥。数は?二人共か?」
「いいえ、一人で十分です。もう資格がありますから、好都合です」
「またやるのかぁ。久しぶりな気がするな。前も良く知らないテレビの取材班だったけど」
「その時は穏便に済まなかったが、今度はうまくやるわい」
「村のすべての方々に伝達をお願いします。“生贄が変わった”と」
彼らは次々に立ち上がり、互いに気合を入れる言葉を発した。
それを聞いたディグは、血相を変えて部屋に戻った。その様子に只ならないものを感じたのか、ウルリが心配そうな顔色を浮かべた。
「なぁ…何かあったのか?」
「しっ。大きな声は出さないで」
ディグは人差し指を立てて、ウルリの口を制する。
「どうやらまずいことになってきた。ここから逃げるぞ」
「えっ?い、今から?荷物は?」
「そんなもの気にしてられないよ」
その時、階段の方から駆け上がってくるような物音がした。二人は思わずその方向に視線を向けた。
やってきたのは桃花だった。息を切らし、焦った表情をみせている。彼女は落ち着きを払いながら、震える声を潜めた。
「あのっ…もう疲れは取れましたか?」
「ああ、おかげさまで。ちょうどここから発とうかと思っていたところだよ」
「そ、そのことなんですけど。今、お客様が見えてて…あの…い、ここから逃げてください!」
「な、なんだって?」
「今ならまだ間に合うと思います。急いで!」
「なぜそんなことを伝えに?あんたもこの村の人なんだろう?」
「それは…!せ、説明している時間はないんです!」
そうしているうちに、一階が騒がしくなる。桃花はそれに気づくと、
「時間を稼ぐから、窓から逃げてください!すぐ傍に大きな木が生えているから、伝っていけば安全に降りられると思います!」
そう言い残して、彼女は階段の下へ引っ込んでいった。やがて幾つかの話し声が聞こえてくる。それは桃花と、来訪者達のものだった。
ウルリは情報の整理がつかず、目を丸くしながら、ディグの方を見る。
「なぁ!なんかやばそうだぜ。あの子の言う通り、今のうちに逃げた方がよさそうじゃないか?」
「そうみたいだね。でもその前に、お前に頼みたいことがある」
「え、なに?」
ギシッという階段の軋みが近づくにつれて、緊張が高まる。それに対しディグは呼吸を整え、可能な限り気を落ち着けた。
そして突然、彼は走り出した。下の階にも聞こえるように思い切り床を踏みしめて、窓を開放する。その音に気付いたのか、階段を上ってくる音が早くなった。ディグは後ろを振り返ることなく、窓から身を乗り出した。
「あっ!おい、あいつを逃がすな!」
取り乱した声が背中にぶつかる。ディグは意に介さず、一階の屋根に飛び出した。
「くそっ!勘づいていたか!」
真っ先に追って来たのは手拭を頭につけた若い男性だった。気鳥という男ではなさそうである。
ディグは彼が屋根に乗ってこようとするのを見計らってから、近くに生えていた木に飛び移った。器用に枝を伝って、難なく地上に降り立つ。
「き、気鳥さん!」
若い男性が叫ぶ。その直後。
ドン、という発砲音が山の静寂を切り裂いた。見ると、二階の窓から猟銃を携えた男――気鳥の姿があった。彼がその引き金を引いたのだ。
弾は、ディグの肩を掠めただけに終わった。しかし衝撃で大勢が大きく崩れ、転倒してしまう。立て直した時には、既に数十名の村人が彼を取り囲んでいた。
「その人を捕まえてください。硲谷家の大切な代わりです」
気鳥は淡々と述べた。村人はそれに答え、操られるかのようにふらふらと近寄り始めた。
ディグはやむを得ないとばかりに、臨戦態勢に入った。訓練で培った動きは、戦いにてんで素人の村人を撃沈させるには十分な効果があった。しかし、どれだけ倒しても彼らは次から次へと向かってきた。
やがて息の切れかけたところで、機敏な村人が隙をつき、ディグを押さえ込んだ。まるでアンカーのように両腕が組み付き、暴れて抜け出そうとしてもびくともしなかった。
「やれやれ、ようやく大人しくなったな。こないだのよりか、ずっと骨がある」
村人の群れを割って、老人が歩いてくる。先程気鳥達と話していた老人である。殆ど歯のない口を歪に釣り上げ、感心したように呟いた。
「硲谷のせがれよりいい生贄になるだろう。あの方…ウツボ様もきっと喜んでくださるはずだ」
「ウツボ様…なるほど、それが今回の黒幕の名前か」
「気安く呼ぶな、余所者!」
老人は憤り、その骨ばった手をディグの首元に伸ばした。垢だらけの爪が喉に食い込んでくる。老人は血走った、焦点の合わない目で忌々しそうにディグを睨み付けた。
「あの方の名前は、村の中でも限られた者にしか呼ぶことを許されない。増してや下賤な外の人間が、口にしてよい物ではないのだ」
村人達は老人の言葉に賛同するかのように、口々に声を上げた。その瞳には狂気を孕み、正気を失っているようだった。
「さぁ、みなさん。準備は滞りなく行ってください。長く待ち詫びた、最後の祭りを遂行するために」
気鳥が声をかけると、村人達はぴたりと静まった。そして軍隊のように、一様に歩き始める。老人は乱暴に手を離すと、村人の中に消えていった。
猟銃を抱え、部屋を後にしようとした気鳥。しかし階段に近づいたところで、振り返った。視線の先には染みだらけの押入れがある。
「気鳥さん、人間撃つのに躊躇しないんすね…」
と、屋根から戻ってきた若い男性が、頭を掻きながら言う。
「俺、完全になんで追いかけたの?って感じだったよ」
「いえいえ、当てるつもりはありませんでした。ほんの威嚇射撃です。ところで、ここでの仕事はまだ残っていますよ」
気鳥は押入れを指差した。
「もう一人がまだ見つかっていません。おそらくやり過ごそうという腹なのでしょうが、きちんと見つけて捕まえておきましょう」
「押入れか…わかりました。見てきます」
若い男性は押入れの取っ手に手をかけ、サッと引き開けた。
そこにあったのは、段ボールの山ともう使わなくなった機材などだった。
「…?どこにも、いないぜ」
「ふむ、先程の騒動で、逃げてしまったのかもしれません。しかし、村からは出ていないはずです。片方が捕まったとなれば、離れられないでしょうから。みなさんに知らせて、祭りの後にでも探しましょう」
「そっすね」
ぱたん、と押入れを閉じる男性。二人は二階を後にした。
そのしばらく後になって、再び押入れが開く。
ウルリは天井裏に隠れていたのだった。表情は不安に沈み、そこから飛び出すと恐る恐る窓から顔を出した。
村人は既に引き上げたらしく、誰もいなかった。今しがた部屋から出て行った二人も、かなり離れたところまで歩いて行っていた。
ウルリは窓から身を乗り出し、平然とそこから飛び降りた。かなりの高さから飛んだにもかかわらず、彼は無事に着地した。
「ほ、本当に大丈夫なんだよな…?」
独りになった不安から、ウルリは弱弱しい声を漏らす。しかし彼には、ディグに託された頼みがある。このまま引き下がるつもりはなかった。
ウルリは獣がするように姿勢を低くし、四つん這いとなる。すると、両手のつまからザワザワと黒い毛が覆い始めた。変化は一瞬で、彼を人間の姿ではなくしていた。力強い四肢を持つ、獣の姿に変わっていたいのである。これが彼の持つ特殊な能力であった。
黒い獣は長い鼻を地面につける。微かな人間の残り香が、彼の鼻腔を刺激する。それは目に見えずとも、はっきりと群衆の足跡を示していた。