#12 絶望は予兆なく
柚羅は走る。
脇目も振らず、ただ屋上を目指して、走る。
時折壁にぶつかりながらも反吐を吐きながらも、全身に駆け巡る憎悪を原動力として階段を駆け上がった。
その憎悪は最早、彼の人間としての表情を失わせていた。
「くそっ…くそっ!下等生物共め!!」
怒りに任せて扉を蹴破る。派手な開音と共に扉か壁に反射した。
ここ何年も感じたことのなかった痛みに、柚羅は怒り、苦しみながらふらふらと屋上を歩いた。そしてある気配に気づいて顔を上げる。その瞬間、彼の表情は益々人間離れして行った。
頭上の空を覆い尽くすほどの巨大な黒い影。それは、円盤であった。SFでよくある、UFOである。浮力機関がないにも関わらず当たり前の如く滞空しており、表面に所々奇妙な紋様を描く光を放っていた。
それを見て口角をあげる柚羅であったが、背中に迫ってくる気配を感じすぐに苦虫を噛み潰したような顔になる。
忌々しい顔ぶれが、彼の背中を睨みつけてくる。肩を怒らせたステラと得物を携えるヨーマ、そして鬼怒谷だ。
柚羅は彼らに視線を向ける。最早話し合いなど意味は無い。どちらかが消えるしか、お互いの溜飲を下げる術はないだろう。
「ふ…当然、追いかけてくるだろうとは思ったよ」
戦力にならないと判断した鬼怒谷はともかく、ステラとヨーマのような強力な人物を相手にしながらも柚羅は余裕の笑みを浮かべていた。それがはったりではないことに気づいたステラは、表情を引き締める。
「お前を生かしておく気はないぞ。こっちにも因縁ってもんがあるんだからな!」
「ああ、その気持ちはわかる。わかるよ。僕達も経験してきている…お前ら以上に」
柚羅はゆっくりと振り向き、両手を広げた。
「最初からこうするつもりだった…。お前が捕まえられようと、そうでなかろうとね。この場所を、この星を、めちゃくちゃに破壊してしまおうって‘’みんなで決めてあったんだ”」
高笑いが響く。それは柚羅から発せられている…だけではない。まるで立体音響のようにあちらこちらから笑い声が聞こえてくる。
その根源はすぐにわかった。遥か頭上…空を覆う巨大な円盤が、声を発していたのだ。まるで生きているかのように。
笑い声が立ち込める中、円盤の下層から槍のような触手が形成され、ELIOの建物ごとステラ達に襲いかかった。まるで雨のように間髪入れず降り注ぐ槍は、ものの数秒で建物の上層階を破壊し尽くしていた。
「ちっ、容赦しないのもお互い様だな…!」
空中に逃れたステラは、廃墟と化した建物を見下ろした。身体から伸びる触腕が、鬼怒谷を宙吊りにして支えている。
そこへヨーマが声をかけてくる。
「ステラ、追撃が来る」
「わかってる!まずは足でまといを安全なところにやらないと…!」
明らかに自分のことだろうと鬼怒谷は思ったが、緊急事態なので口は挟まない。ステラは宙を旋回し、地表に向かって真っ直ぐに飛んでいく。しかしそれを円盤が見逃すわけはない。
瞬時に攻撃が切り替わり、激しいビーム砲の乱射が彼らを狙った。間を縫うように飛び去るステラ達。熱線が肌を掠め服を焦がす。
当たれば一溜りもない威力だろうことは、既に着弾した地上の有様を見れば嫌でもわかった。崩壊したELIOのように、眼下の町は焼けた瓦礫の山と化していたのだから。
「くそ…私の縄張りだぞ!あいつめ、絶対ぶっ飛ばしてやる!」
変わり果てた街を見下ろし、ステラは憤慨する。が、反撃のチャンスはほとんど無い。鬼怒谷を連れていることも原因の一つだが、敵の攻撃に隙らしい隙がないのだ。離れればビーム砲が襲い、近づけば槍の餌食になる。掻い潜るのは容易ではないだろう。
その時、追尾してきていたヨーマが再び声をかけた。
「ステラ、提案がある」
「なんだ!?」
「僕が囮になるから、君は鬼怒谷さんを避難させるんだ」
「お前っ…私に命令するのかよ」
「ステラこそ、強情を張っている場合じゃない」
「あー!もう!じゃ、早く行ってこい!」
ヨーマは僅かに表情を弛めた。そのままステラの傍から離れ、円盤の方に向き直る。
「私が戻ってくるまで生きてろよ!」
「…はい」
表情を引き締め、赤黒い大剣を生成するヨーマ。ステラがかけた言葉は乱暴だったが、彼が覚悟を固めるには十分なものだった。
複数のビームが重なり一つの巨大なエネルギーとなった砲撃を前に、ヨーマは大剣を構えた。
砲撃が届こうという瞬間、彼の大剣が振るわれる。音を置き去りにして振り下ろされた刃は、突撃してきたエネルギーを両断し、その威力を殺した。
いかに膨大なエネルギーであったかを知らしめるように、消失した砲撃は強い風圧を残した。その風に煽られ、ステラは意図せぬ方へと吹き飛ばされてしまう。
「うわあっ!?」
煽られた拍子に、ステラの触腕から鬼怒谷が離れた。
「鬼怒谷ぁ!!」
離れたことに気づいてすぐに旋回し、鬼怒谷の元へ飛ぶステラ。元々降りるつもりで低空飛行していたことが仇となったか、地上はあっという間に迫り来ている。このまま叩きつけられれば、鬼怒谷は…。
ステラは我武者羅に手を伸ばして、なんとか服を掴み手繰り寄せようとする。しかし勢いはなかなか殺せない。
(くそっ!これでダメならっ…!!)
ステラは風船のように全身を膨らませた。彼女の細胞が急激に変化し、再配置され、袋状になって鬼怒谷を覆う。勢いが落ちなくても、自分がクッションになれば助かるかもしれない。そう考えてのことだった。
気づけばアスファルトが目と鼻の先にあった。衝撃に備え、全身に力を込め目を瞑る。
だが、次にやってきたのは想像していたものよりかなり軽い衝撃だった。まるで何かに受け止められたかのような、全く危なげのない振動のみが身体を走り抜ける。
「やぉ、お嬢ちゃん。また会ったねぇ」
頭上に声がかかる。それはどこかで聞いた覚えのある、癇に障る声。
「は…?あ…?」
衝撃が来ると思っていたステラは、予想外の展開にやや頭が追いついてなかった。見上げると、体格差があるとはいえ二人分の重みを涼し気な顔で抱きかかえる青年の笑顔があった。
「いきなりすごい音がすると思ったら、まさかきみ達が降ってくるとはね〜。大丈夫?怪我してないかな」
「あ…は、はい。こっちはなんとも…」
「それは良かった」
「なっ!お前!どっから沸いてきた!?」
混乱しつつも助かったことに安堵する鬼怒谷だったが、その頭上に乗っていたステラは青年に対して激しく威嚇した。
「ん?ああ、ぼくの家からあの円盤が見えたからさ。避難しようと思ってここまで来たら、きみ達が危なそうだったから助けてあげようと思ってー」
「余計なお世話だよ!お前なんかいなくたって、私一人でだな…!」
「ステラ、この人と知り合いなの…?」
状況が呑み込めない鬼怒谷は恐る恐る口を挟んだ。ステラが知っている相手という点だけでも、この青年が人間ではないだろうと直感できる。
「別に親しくはないからな!」
「えー?つれないなぁステラちゃん。あの夜の公園で語り合った仲じゃない」
「気安く私の名前を呼ぶんじゃない!」
今にも噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出すステラを、慌てて鬼怒谷が抑える。激怒する彼女を前にして朗らかに笑っている青年と相まり、緊急事態であることを忘れてしまいそうな状況だった。
「ステラ抑えて!今はそんなことしてる場合じゃないよ!ヨーマさんが一人で戦ってるんだから…!」
「っと、そうだったな。おい勘違いするなよ!こんな状況じゃなかったらお前ボコしてるからな!」
「そっかぁ〜。なんか、大変そうだね」
今なお続く破壊音や崩壊する街を目の当たりにしながら、青年はいまいち驚きのない様子で頬を搔いている。
「で、あれどうするの?きみも戦うのかな」
「当然だろ!この足でまといをどっかにやったら、すぐにでも行くつもりだ!」
「確かに、彼は戦えなそうだもんねぇ」
青年はまじまじと鬼怒谷を見つめる。彼の綺麗な顔立ちが見せるあどけなさは、同性のはずの鬼怒谷でも頬が熱くなってしまうほどだった。
そして青年は思いついたようにこう言った。
「じゃ、ぼくが彼を匿ったげようか?」
「はぁ…お前が…?」
聞いた瞬間、ステラは当然疑念の鋭い視線を向ける。一度面識があるとはいえ、それだけで信用するには値しないと言わんばかりの目付きだ。
「悪くない提案だと思うけどなぁ…あれくらいの攻撃だったら凌げるし、それに」
「それに、何だよ?」
「迷ってる暇ないんじゃないかな」
突然青年は鬼怒谷の腕を引き、走り出した。ステラが何か言おうと口を開くが、直後背中で聞こえた轟音で遮られてしまう。見ると、先程まで立っていた場所に巨大な肉塊が転がっていた。五階建てのビルくらいありそうな塊だ。あのまま話し込んでいたら、あれの下敷きになっていただろう。
「ほら、ボーっとしてたら死んじゃうよ。彼のことは、ぼくに任せて。きみにはやることがあるんでしょ?」
腕を引きながら語りかける青年。表情こそ柔らかいが、その声色はどこか淡々としていた。まるでステラに対して、選択を迫るように。
「…言われなくても、わかってる!」
ステラは躊躇った末、するりと鬼怒谷の腕から抜け出した。鬼怒谷は青年に引かれて、ステラとの距離がぐんぐん離れていく。
「おい!そいつに手を出したら、必ずぶっ飛ばしに行くから肝に銘じておけよ!」
「うん、任せて〜!」
呑気な声を上げ、片手を大きく振る青年。それでも降ってくる瓦礫や肉塊を全て避けきっている辺り、やはり只者ではないようだ。
「っ…ステラ!?」
腕を引っ張られながらも、鬼怒谷は振り返る。徐々に遠ざかっていくステラの姿に強烈な不安を覚え、後ろ髪を引かれたからだ。
そんな彼に対して、ステラは精一杯の不敵な笑顔を浮かべてみせる。
「心配するな!すぐにケリを付けてくる!」
それが聞こえたか定かではないが、二人の影はあっという間に見えなくなる。
背中を見届けた後、ステラは空を睨んだ。円盤はゆっくり漂っていたが、所々赤黒い煙を噴いていた。
その時、強烈な閃光が地平線に沿って瞬いた。あまりの威力に大気が揺れ、衝撃がビリビリと肌を痺れさせる。閃光が消失すると同時に、空から黒い影が落下した。
円盤の周囲は、最早無数の街の残骸ばかりになっていた。ゆっくりと移動する度に、真下にある建造物が丁寧に破壊し尽くされるためだ。
その瓦礫の山の中に一つの人影が落下する。ヨーマだった。先程の閃光に撃ち落とされたらしく、身体は酷く損傷し右腕を失っていた。常人であれば錯乱してもおかしくないほどの大怪我をしながら、彼は眉ひとつ顰めていなかった。何事も無かったかのように立ち上がり、折れた剣を捨て新たな武器を生成している。
「お前、随分やられたな」
すぐ傍で声がする。見ると、瓦礫の山の中でステラが腰に手を当てて立っていた。
「ステラ。油断しない方がいい」
「お前に言われなくてもそうする。お前がそこまで消耗するくらいなんだから」
「…」
「なんだよ?」
「今言ってもステラは納得しないだろうから、その時言います」
「はぁ?」
ヨーマは視線を外し、円盤に目を向ける。その様子にステラはどこか引っかかるものがあった。しかしそれを問い詰めようとする前にヨーマは飛び去ってしまう。ステラもそれに続く。
空中で互いの武器となるものを展開し、円盤へと突っ込んでいく。
円盤は極めて巨大だ。街一つ覆い被せられるほどに。ゆえに全てを破壊するのは幾ら二人であっても容易くない。それでも円盤を無力化するべく、ステラは渾身の力を込め、ヨーマは容赦しない攻撃を仕掛ける。派手な破壊音と共に、飛び散る破片や肉塊。そして轟音に混じって悲鳴のような声が発生する。ダメージは確実に通っているようだ。
このまま攻撃を続ければ、円盤は陥落するはず。それだけを考えてステラは行動した。先程から感じる嫌な予感を振り払うように、ひたすらに殴りつけている。
しかし、期待より先に予感は来た。
円盤が再びあの閃光を発生させたのだ。予備動作のない破滅の光を、攻撃に集中していたステラは避ける余裕などなかった。
激しい瞬きが眼前を覆い尽くす。遠くで誰かの叫び声が聞こえる。名前を呼ぶような叫び声が…。
放たれた熱線は円盤を取り囲むあらゆる物を吹き飛ばした。宙に舞う瓦礫や破壊された自身の細胞でさえ例外はなく。閃光に触れた物質は瞬間的に蒸発して粒子となって消えていく。それは、一度失ったものは二度と元に戻らないということを身をもって証明していた。
崩れた残骸の上に転がる二つの塊。どちらも、閃光の威力の前に元の形を保ってはいなかった。