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​#1 宇宙から来た少女

十年前の春。
漆黒の隕石が、大気を震わす轟音とともに空を切り裂いてきたのは、まさに晴天の霹靂のような出来事だった。
真昼に黒く輝き、多くの民衆の目を釘付けにしながら落ちていく映像は、今でもこの時期になるとメディアが取り上げている。
隕石落下というと、多くの人は恐竜絶滅のイメージが沸くだろう。しかしこの星屑は、それとは全く違うものをもたらした。


『ーー番組の途中ですが、臨時ニュースです。』


女性アナウンサーが、淡々とした口調で渡された資料を読み上げる。


『ただ今富司町のハイウェイで事故が発生致しました。現場の状況の方は?』


その瞬間映像が変わり、若い男性アナウンサーが映し出された。


『はい。スタジオに変わってお伝えいたします。接近するのは危険ということで私自身かなり距離をとっております。』


そう話すアナウンサーの周りには、皆一様に蒼白になって走り去る一般人の姿があった。ぎっしりと詰まった車両の隙間から必死に這い出す様は、見る者に対して、彼らが何か恐ろしいものから逃げているということを直感させた。


『姿はここからでは確認できませんが...先程上空から撮影した映像をご覧ください。』


再び映像が切り替わる。遥か上空にドローンを飛ばし、旋回させて撮ったもののようだ。
映像の中では、白昼の高速道路が、車両の長蛇の列で埋め尽くされている。しかしその列は歪で、車の扉が開け放たれ、次々と乗車者が飛び出している。
蜘蛛の子散らすように逃げ出す人々の群れの中心、無残に積み上げられた車両の山の中に、その元凶はいた。
見た目は爬虫類。しかしその下半身と思しき部分は異様で、多足類のそれを思わせた。怪物は首の下についた強靭そうな四本腕の鉤爪を振り回しては、近場の車両を易々と押し潰していた。


『“EBE”です!体長は10メートルほどと推測されます。約三十分前に起こった車両同士の追突事故の後、追い打ちのように出現し、暴れております!あっ...ど、どうやらこちらに向かって移動しているようです。周辺にお住まいの方は速やかに避難してください!』


人の悲鳴が近づき、映像が乱れる。押し寄せる人の波が、アナウンサー達を飲み込んでいく。一瞬ぶれた映像の遥か向こうに、怪物の姿が霞んでいた。
その直後、爆音と振動が映像内で起こった。

『...え?』


一瞬何が起こったのか、アナウンサーも怪訝の声を漏らした。だが前を見るなり、すぐに理由を理解した。


『えー、ただ今ELIOの職員が到着した模様です。先程の爆音は、EBEに対する攻撃音のようです!』


へたり込むアナウンサーの傍を、防護服の人間が続々と通り過ぎていく。その姿を目にした人々は、希望を手にしたかのように続々と安堵の表情を見せていた。
“ELIO”と刺繍された防護服は歓声に答える代わりに勇ましく揺れていた。前衛の数人はランチャーのような武器を構え、怪物を捕捉する。怪物もそれに気づいたようで、車両を踏みつけながら猛進した。後衛にいた制服を纏った屈強そうな男性が掛け声を上げた直後、銃口から発射された火薬が弧を描き、怪物の頭や首、腹を爆破した。
飛び散る薬莢と血と肉片。それらは同時に焚かれた発煙に巻かれ、映像が途切れる。そして速やかにスタジオ放送に切り替わった。
女性アナウンサーは再び淡々とした口調で述べる。


『ただ今入りました情報によりますと、EBEは駆除されたとのことです。幸いこれによる人的被害は出ておりません。以上で臨時ニュースを終わります。』


隕石がもたらしたもの。それはEarth Baneful Elementーー通称EBEと呼ばれる、地球外生命体だった。
映画によく出てくるエイリアンと思って間違いはない。その性質は差異があるものの、凶暴で食欲旺盛、見た目的にも紛うことなきモンスターである。
彼らは隕石落下の後日から出現を確認されるようになり、連日被害が相次いだ。当時は大変騒がれたが、ある組織のおかげで今や人間が起こす事件レベルのものとして、次第に落ち着きつつあった。
その組織こそが地球外生命体調査機関「ELIO」である。EBEと戦い、研究し、民衆を守る機関として多くの人の支持を集めている。現代の平和はELIOによってもたらされたと言って過言ではないだろう。


「わぁ、あの怪物一撃だって!カッコイイ!」
「こないだのよりすごく大きかったのにね、すごいねー!」


電気屋のショーウインドーを前に、数人の小学生が目を輝かせながら言った。彼らにとってELIOとは、巨大な悪と戦う、まさにヒーローそのものだった。


「EBEって怖いよね。なんだかムカデみたいだった。」
「うん、人を襲うんだってテレビで言ってたよ。前にそんな事件あった。」
「見た目も怖いし、やっぱり映画のエイリアンと一緒なのかなぁ。」
「映画だったらいいエイリアンもいるよ?」
「EBEの中にもいたりするのかな。」
「それはないんじゃない?だっておれが今まで見たやつ全部怖いもん。」


思い思いの言葉を口にして、子供達はテレビの前から離れていく。目の前の交差点に差し掛かる頃には、もう別の話題で盛り上がっていた。
帽子を被った少年は遠くで笑い合う子供達の声を背中で聞きながら、空を見上げた。
今の時代において、彼らの会話は本当に何気ないものだ。さして気に止めることではないし、言うなれば明日の夕飯が何になるか程度のものである。だがそんな中で、少年は心に思うことがあった。


ーー異種族は全てが恐ろしい存在なのか?
ーーそうでないなら、共存は可能ではないのか?

彼はテレビの映像を一瞥すると、帽子を深く被り直して静かに歩き去った。


数刻前。
阿久更町の中心に建つ私立大学は午後の講義を終え、帰宅する学生達をちらほら送り出していた。勿論帰らずに部活に向かう者も少なくなく、彼らはユニフォームや運動着に着替えて、校舎内のグラウンドでそれぞれの活動を始めている。
鬼怒谷は帰宅部だった。鞄に教材やノートを詰め、いざ帰ろうと教室を出ようとした時である。


「鬼怒谷!今日はもう帰るのか?」


突然、脇から青年が突進してきた。髪を派手な赤に染め上げ、ハイカラなTシャツを着た、鬼怒谷とは真逆のタイプの青年である。ちなみに今日の鬼怒谷のルックスは落ち着いた白のシャツにブレザー、焦げ茶のスラックスである。


「秋色。どうしたの?」
「もし暇なら一緒に“クリムゾンブレイカー”見に行こうぜ!」
「何それ...映画?」
「そう!昨日公開のやつだ!」


ハイカラな青年ーー秋色は慣れた手つきで携帯電話を操り、画面を見せつけてきた。それは映画のホームページ画面で、黒い背景に赤い血痕のようなラインが引かれ、中心のロゴの上に逞しい男が銃を構えていた。軍人と思しき彼の傍には牙の多い獰猛そうな怪物がアップで映っており、今まさに男に襲いかかろうと爪を光らせていた。


「うーんグロテスク系はちょっと...」
「あれ、アクションホラー苦手?てっきり平気だと思ってた。」
「どこを見てそう思ったんだよ?」
「だってさ、お前あんまり表情変わんないじゃん。感情出ないっていうか」
「そうかなぁ。」


鬼怒谷は首を傾げたが、はっきりと否定するには至らなかった。秋色は何気なく口にしたのだろうが、なんとなく当たっている気はした。


「そう言われてみると意外と平気なのかもしれないなぁ。そういう系最近見てないし」
「おっ。じゃあ行くか。」
「悪いけど、すぐにはちょっとね...」
「えー!なんだ。じゃ、今度行こうぜ。」


食い下がる素振りを見せながらもあっさり引き下がる秋色。彼は見た目は派手だが、良識はあるのだ。
秋色と別れ、階段を下る鬼怒谷。そんな彼の前に、少女がふわりと現れた。
同じ学年の光莉である。柔らかな栗色の髪を肩まで下ろし、優しい表情を湛え、清楚な雰囲気を醸すワンピースを着ている。彼女は鬼怒谷と目が合うと、向かって穏やかに微笑んで見せた。


(ひぇ...!?)


思わぬアイコンタクトに鬼怒谷はすっかり硬直してしまっていた。光莉はそのまま彼の傍を横切り、階段を上がっていった。
言葉は交わしていないものの、視線があったこと、何より微笑みかけられたことだけで、鬼怒谷は信じられなかった。彼女は普段目線すら合わせられない程の、鬼怒谷にとってものすごい高嶺の花なのだ。


(まさか、光莉さんと出会うとは思わなかった!うわああどうしよう!)


浮き足立つ気持ちが抑えられず、鬼怒谷は階段を駆け上がっていた。丁度登りきったところで、荷物をまとめた秋色と出会った。彼は鬼怒谷を見るなり、怪訝そうな顔をした。


「ん、どーした?」
「い、いや。何でもないけど」

 

無意識に上がる口角を手で隠し、鬼怒谷はたどたどしく答えた。

 

「映画、やっぱり一緒に行っていい?」

 


“クリムゾンブレイカー”が終わる頃には、あたりはすっかり日が暮れていた。
始終叫んだ記憶しかないが、事前に良い事もあったせいで見に行ったことに後悔はなかった。
秋色と別れた鬼怒谷は、電灯が敷く住宅街の道を一人歩いていた。帰宅ラッシュにはまだ早いのか、人気は少ない。しかし鬼怒谷は何も気に止めなかった。
脳裏に焼き付く光莉の笑顔を思い出す度に、頬が熱くなる。それを繰り返して、気がつけばいつも通っている道を通り過ぎて、公園の前まで来てしまっていた。


(ああダメだ。上の空になってる...でも、いいんだ。最高に良いことがあったんだから...)


思わず、笑みが零れた。
しかしその直後、公園の敷地内から歪な、メキメキという何かがへし折れる音が聞こえてきた。
瞬間、鬼怒谷は現実に引き戻された。
へし折れたのは園内にある木々である。大きな公園なのでそこかしこに林があったのだ。それに続いて何かが重たく横たわったような振動が走り、鬼怒谷は近くの柵にしがみついた。


「な、なんだ?」


木々の中からバサバサと鳥たちが飛んでいく。暗闇に目を凝らしてみると、その場所では巨大な何かが蠢いていた。人にしてはとても大きすぎる。
それに気づいた時、鬼怒谷は身体中の血液が冷えるのを感じた。
大きく身を翻し起き上がったそれは、怪物だった。幾つもの目が芋虫のような体を覆い、ギョロギョロと目まぐるしく動いている。脚らしき部分はゆっくり地を這って林からその巨体を出した。


(化け、物…!?)


怪異との遭遇に、鬼怒谷は固まった。先刻ニュースで見た怪物より小さいが、見た目の恐ろしさではこちらの方に軍杯が上がるだろう。鬼怒谷は何とかその場を離れようとするが、恐怖で足がすくんでいる。


(うう...神様...!)


そう思った瞬間。
鋭い何かで切り裂くような音が静寂に訪れる。
直後、芋虫のEBEの腹から上が前方へスライドし、ドサリと音を立てて崩れ落ちた。
嫌な臭いが公園に立ち込める。鬼怒谷もその一部始終に目を見張りつつ、口を覆っていた。
ピクピクと痙攣する怪物の隣に、小さな影が降り立った。
鬼怒谷は見た。その影がEBEを両断したのだ。方法は分からないが、影がEBEを追って跳躍すると、もう既に今の状態になっていたのである。
もしかすると新手のEBEなのかもしれない。鬼怒谷はすくむ身体を無理矢理動かそうとした。その時、突然携帯電話が鳴った。


「うわっ...あ!」


思わず声を上げてしまい、焦燥する。
だが、もう遅かった。
背後に気配を感じ、再び硬直する鬼怒谷。恐怖のあまり、振り返ることができない。すると痺れを切らしたように、気配の方から正面に回り込んできた。
視界に現れたのは、10歳ほどの子供。それも女の子だ。独特の格好に、不思議な形の帽子を被っている。揺れる金髪は月の光で輝き、同じく金色の瞳はいかにも不満そうな思いを湛えてこちらを睨みつけていた。


「へ...?」


鬼怒谷は思わず間の抜けた声を漏らした。先程の様子を見る限り、あのEBE以上に恐ろしい存在だと思っていた。しかし目の前に現れたのは小さな少女。とてもあの怪物を倒した正体だとは思えなかったのだ。


「あの、君...」


疑問符だらけの頭でとりあえず話しかけようとする鬼怒谷。だが、その言葉をかき消すように少女が身を乗り出してきた。


「ちょっとこっちに来い」


見た目より鋭い口調で喋る少女。呆気に取られていた鬼怒谷の胸ぐらを掴むと、そのまま軽々と園内に引きずり込んだ。


「わっ!ちょ、ちょっと!?」


思いのほか力が強くてふり解けない。背中を目一杯汚してバタつく鬼怒谷に対し、少女は無視を決め込んでいる。そして無造作に彼の身柄を、林の中に放り投げた。


「ぐっ!い、いったぁ...」


腰を強打し、呻く鬼怒谷。そこへ少女は、彼に痛みを感じる暇も与えないまま、ぐいっと首根っこを掴みあげた。

 

「こうしたら黙れって、知らないのか?」


と、自分の口元に1本人差し指を立てながら少女が言う。


「ったく油断したなぁ。こんな奴に見られるなんて思ってもなかった…」


そう言って、深くため息をつく。彼女は呆れた表情で、鬼怒谷を睨んだ。


「あっ...あー、なんか、ごめん。僕、何か気に触ったことしたかな...」


見た目に騙されて、思わず普通に話しかけてしまう。それに彼女の反応がなかったのは、幸いだったのかもしれない。


「そりゃあ。けどお前を殺すと後々面倒そうなんだよなぁ。」


代わりに平然と物騒なことを口にする少女。しかしかなり悩んだ様子で、鬼怒谷の首を掴んだまま唸り声を漏らした。


「殺すなら一族ごとだけど、時間はないし...」


はぁ、と嘆息して少女は肩を竦めた。


「安心しろよ。お前と争うつもりはもうないから。」


そう語る彼女だったが、声はまだ不穏な色を含んでいる。


「だからって、見逃すわけにもいかないんだよな。見られたからには...」


薄ら笑う少女に恐怖を感じて、鬼怒谷は息を飲んだ。一体何をされるのか、想像もつかない。考えつく範囲では、どうも悪いイメージしかない。


「ど、どうする気?」
「そう身構えなくていい。これはお前にとっても有益になる取り引きなんだから。」


少女は、圧倒的な自信に満ちた顔で鬼怒谷を見上げる。その態度は身長差を感じさせないほどに、堂々としたものだった。


「これからお前の身の安全を、この私が保障してやる。その代わり、さっき見たことを口外しないと約束しろ。」
「えええ?」
「約束できないなら仕方ないな...」
「約束しますしますから首絞めないで。」


少女は鬼怒谷の返事を聞くなり手を離した。

 

「そうそう。こっちだって本当は手荒な真似したくないんだからね。」


嬉しそうに語る少女。首を絞める時の目は明らかに本気だったのだが、鬼怒谷は黙っていた。逆らわない方が身のためだ。


「わ、わかったよ。ずっと約束する。絶対守る!それで見逃しくれるなら...」


軽く咳をしながら言う鬼怒谷。少女の所業で身体の至る所が痛かった。彼女にとって鬼怒谷の命を奪うことは造作もないことだろう。にも関わらずこのような形での締結を望んできたのは、相当な行幸ではある。

鬼怒谷はひとまず安堵した。しかし気持ちを緩めたのもつかの間、すぐさま鋭い切り返しが彼を襲った。


「見逃すわけないだろ。何言ってんの。」
「えっ。」
「口約束じゃダメだ。お前らは嘘つきだから、私の知らないうちにバラされるかもしれない。」
「そ、そんなことしないって!...確かにこんなところで偶然出会っただけだから信用ないかもしれないけど...」
「そう、だから私は考えた。」


にやりと口角を上げ、少女は笑った。


「これからお前を私の監視下に置く。そうすればいいんだ」
「ず、ずっと一緒にいるってこと?」
「うん。」
「家に来るの?」
「そういうことになるな。」
「えええ」
「不服なら仕方ないな...」
「不服じゃないです頭掴むのやめていたたた。」


その時、遠くからサイレンのような音がか細く聞こえてきた。それに気づくなり、少女は血相を変えた。


「さて...逃げるぞ人間。硬い服の奴らに見つかったらことだ。でももし見つかったら、お前分かってるな?」
「えーと...誤魔化す?」
「そうそう。それをするのはお前の大事な仕事役目だから、忘れるんじゃないぞ。もし忘れたら...」
「いたたたた!わかってる!わかってるから爪立てないで痛い!」


思わぬ出来事の連続で、いつの間にか奇妙な同居人を得ることとなった鬼怒谷。まだ片鱗しか味わっていないものの、僅かな間の中で触れた少女の横暴な姿を見るに、これからがひたすら不安でしかなかった。唯一その全てを見守っていた満月だけが、彼に同情するかのように青ざめていた。

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