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​#7 もう過去には戻れない

ステラとウルリは山道を下った。ついさっき怪物と激闘を繰り広げたにも関わらず、二人は殆ど疲れていない様子だった。相も変わらずステラは迷いなく、ウルリは軽快な足取りですいすい進んでいく。しかし、順風満帆に見えた帰り道を塞ぐ者がいた。
平坦になりもうすぐ森を抜けられるというところで、ヨーマが赤黒い刃を手にしながら険しい表情をして立っていたのだ。


「お前っ…何の用だ!?」


姿を視認するなり、激しく敵意を露わにするステラ。それに対し、傍のウルリは相変わらずきょとんとして彼女の方を見た。


「誰だ?ステラの知り合い?」
「地上で一番嫌いな奴だ…!」


ステラが唾棄すると、それを聞いたヨーマは少し悲しそうな顔をした。


「相変わらず冷たいな。君らしいけれど」
「冷やかしに来たのならさっさとそこを退け。邪魔だ」
「もちろん用があって来た。…そこのあなたに」


ヨーマは持っていた赤黒い刃をウルリに向けた。


「うわ、なになに?もしかして第2回戦ってやつー?」
「お前、またそういうこと…!」
「ステラも気づいているだろう。彼は人間ではないし、僕達とも違う。非常に不安定な存在だ。排除するべきだ」
「なんだかよくわからないけど、敵ってことでいいんだよな。よし、やっつけてやる!」


独自の思考回路で納得したウルリはステラの言葉も聞かず臨戦態勢に入った。だが、そのアクションが完全に終わる前に、ヨーマの糸が素早く絡みついた。


「うわ!?な、なんだこれ!」


蜘蛛に捕らえられた虫のように、ウルリはあっという間に身動きが取れなくなってしまった。抜け出そうと暴れても糸は鉄のように硬かった。


「彼は排除する。異論は認めない」
「勝手に決めるなっ!」


ヨーマの毅然とした態度に逆上したステラは、怒りに身を任せて見えない斬撃を糸にぶち当てた。金属の甲高い衝突音が発生し、糸がバラバラと崩れ落ちる。破片に混じってウルリも地上へ落下するが、彼は受身を取って見事に着地した。


「っと…ありがとうステラ!」
「ここは私に任せてさっさと行け!」
「で、でもあいつすごく強そうだぞ…ステラひとりじゃ大変だよ!」
「いいから行けっ!」
「わっ!」


ステラに乱暴に背中を押され、ウルリは斜面から転がり落ちた。慌てて立ち上がり彼女の方を見たが、ステラは早く行けと言わんばかりに手を振っていた。ウルリは少し躊躇したものの、背を向けて山を駆け下りていった。その背後にヨーマの糸が迫るが、ステラが間に入り全て迎撃していく。


「あの時みたいに上手くいくと思うなよ!」
「全く、仕方のない人だな…」


背中から無数の槍を展開し向かってくるステラに対し、ヨーマは静かに嘆息した。

 


ウルリは滑るように駆け、山を抜けた。アスファルトの道を疾走し大通りへと出る。平坦な道は幾分走りやすそうに見えたが、先程とは違い彼の息は大きく乱れていた。
やがて彼の足は大きな白い建物の中へ入っていく。道沿いに建てられた看板には「地球外生命調査機関 日本支部」と書かれていた。


「ディグー!いるー?!」


ウルリは大声を出しながら走った。エントランスにいた人々は皆何事かと目を丸くする。好奇の視線を向けられるが、彼は気にせず一般立ち入り禁止区域に突っ込み、あるオフィスに入った。しかしそこの入口で、丁度書類を抱えて歩いてきた白い髪の少年に衝突してしまった。


「っ!…何するんだウルリ」


床に押し倒された少年はウルリを睨みつけた。ぶつかったせいで持っていた書類がすべて散乱している。


「あ、ディグここにいたんだ。うわ、紙がいっぱい散らかってるぞ!どうしたんだ!?」
「お前がぶつかってきたせいだよ」


白い髪の少年ーーディグは呆れた様子で答えた。全部で50枚はあろうかという大量の書類を掻き集め、腕に抱えている。ウルリも手伝おうと手を伸ばしかけたところで、思い出したように叫んだ。


「あ、そうだ!オレ、何か用があって帰ってきたんだ!なぁディグ、聞いてくれよ!さっき山でさぁ」
「山だって?お前が行くように言われたのは丘じゃなかったか?」
「あー、それはそうなんだけど。その前に山に行ったんだよ。それでね、山でこーんなでっかい木の怪物をやっつけてきたんだ!」
「…その怪物って、お前の目には映ってたか?」


ディグが手を止め、ウルリに向き直る。先程より真剣な様子だ。


「ああ、ちゃんと“映ってた”よ!それがどうかしたの?」
「そうか…」


その時、ディグのポケットから無機質なサウンドが発生した。取り出してみると、見知った番号が白いPHSの画面上に映し出されていた。


「でさぁ、それよりもすごいことがあったんだけど…」
「ちょっと待って。所長から連絡だ」


ディグは慣れた操作でPHSを耳に当てた。


「もしもし…えぇ、ウルリなら帰ってきてますよ。EBEを倒してきたとか。…どのような?ええと、巨大な木の姿をしていたそうです。…え?わかりました。ちょっと待ってください」


ディグはちらりとウルリを見た。ウルリはまだ話したいことがあるようで、電話が終わるのを待つ間うずうずしていた。ディグはPHSの通話口を押さえ、彼に声をかける。


「ウルリ、さっきすごいことがあったって言ってたけど何?」
「え?すごいこと?んー…あ!そうそう!実はもっとおっかないやつがいたんだよー!」
「なんだって?」


ウルリは興奮した様子で話し続けた。


「そいつ、人間そっくりの姿で真っ黒い服を着てた!んで、手から糸が出るんだ!さすがにオレひとりじゃ倒せなそうになかったよ」
「人間そっくりの……そいつ、お前の目には映ってたか?」
「うん!」
「なるほどね」


ディグは再びPHSに向かって話しかけた。


「どうやらもう一体、遭遇していたそうです。人間の姿に化けるタイプとのことですが……はい、わかりました。切ります」
「なんだったんだ?」
「…お手柄だってさ。その人間そっくりの怪物、どうやら件のEBEらしい。お前が調査するはずだった丘を更地に変えた奴だよ」
「えっ…」


それを聞いたウルリは、先程までの楽観的な表情が嘘のように引き、頬に冷や汗が伝った。衝動的に立ち上がりオフィスを出ようとするが、慌ててその腕をディグが掴んだ。


「待て、どこへ行くんだ?」
「山に戻るんだよ!そいつとひとりで戦ってるやつがいるんだ!助けに行かないと!」
「お前、一般市民を巻き込んだのか」
「ち、違うよ!山までの道のりを教えてもらったんだ。そんで、あいつオレに先に行けって言って…」


ウルリの言葉を聞き、ディグは眉をひそめた。引き止めている腕をがっちり掴んだまま、片手で器用にPHSを操作する。


「もしもし。エレメントリですが、至急ウルリのGPS記録を辿って近辺の山に機動部隊を派遣してください。件のEBEとの戦闘に市民が巻き込まれているようです」


PHSの通話を切ると、ディグはウルリを引きずって部屋を出た。ウルリは引っ張られながら、目を白黒させて言った。


「な、なぁ!玄関はこっちじゃないぞ!オレ達も行くんだろ?!」
「行かないよ。ここから先は俺達の仕事じゃないから。それより、外に行って大変だっただろ?お前の身体の検査をしないと」
「えぇ!?オレ全然疲れてないし、平気だよ!」
「そんなに息切らして傷だらけでどこが平気なんだよ。ほら、抵抗しない」
「えぇー!検査やだー!!」


ウルリは凄まじくごねたが、ディグはそれをものともせず通路の向こうに彼を引きずっていった。廊下には遠ざかるウルリの絶叫のみが響く。その様子を、オフィス内の職員達は気の毒そうに見送っていた。

 


さて、所変わってここは先程の山。森の中には戦いの痕跡として抉れた地面やなぎ倒された木々が随所で確認された。いかに激しい戦闘だったか想像に難くない有様である。
ステラは器用に枝を伝って、背後に迫る気配から距離を取っていた。追いかけてくるのは、無数の赤黒い金属糸を漂わせるヨーマ。しかし追いかけるというより、どちらかというとステラを見失わない程度のスピードでついて行っていると言った方が正しいような、そんな雰囲気だった。
ステラは時折振り返り、ヨーマに攻撃した。背中から展開した幾つもの刃を、本気で仕留めるつもりで彼に差し向けていく。だが、ヨーマは自身の赤黒い糸を使ってステラの刃を退けた。その的確さは戦闘意欲を削ぐ程、隙がなかった。


「ステラ、戦うのをやめて。僕は君と戦うつもりなんてないんだ」
「だったらなんでずっと着いてくるんだよ!」
「それはもちろん、君を守るためだ。あの少年を逃がしたのは悪手だった。きっと仲間を連れて戻ってくる。彼らから君を守らないと…」
「余計なお世話だよ!てか、お前が正体を晒しながら出てきたのが一番の問題だろ!」
「それは違う。僕はあの少年を排除するつもりでいたのに、君が邪魔をするから」
「あー!うるさいうるさい!もう黙るかあっち行け!!」


ステラは枝をへし折り、ヨーマに投げつけた。彼は腕を翳して枝から身を守る。跳ね返った枝は、からんと虚しい音を立てて地面に落ちた。
その時、ステラとヨーマは木々の向こうからたくさんの気配を感じて一斉にその方向を見た。次第に近づいてくるたくさんの人間の足音に、二人は事態をすぐさま理解する。


「やっぱり、彼もあっち側だったようだ」


ヨーマは掌から赤黒い刃を召喚し、迎撃に備える。


「何やってんだ!見つかるぞ!」
「構わない。そもそも自分のせいだからね。ステラはここから逃げて。僕が時間を稼ぐ」
「はぁ!?自己責任についての異論はないが、お前に逃がされるなんてまっぴらごめんだ!」
「こんなところで強情にならないで。早く行ってくれ」
「うわっ!?」


ヨーマは糸を飛ばし、ステラを捕まえる。少々乱暴ではあるが、そのまま彼女を森の中から放り投げた。


「あ、あいつ!私を荷物みたいに…!」


憤るステラだったが、木々の隙間から垣間見た光景に血の気が引く。数秒後、なんの警告もなしに放たれた容赦のない銃撃が、ヨーマを襲っていた。彼はすぐさま赤黒い糸を紡いで盾とし、銃撃を防いでいる。しかし多勢に無勢か、彼は少しずつ押されている様子だった。


「対象を確認。作戦通りまずは無力化に努める」
「B班、右から回れ。正面からの攻撃は無効に見える」
「了解、油断するなよ。相手は第二級クラスだ」


武装したELIOの職員達は無線と会話しながらヨーマを追い詰めていく。彼は糸を蜘蛛の巣のように展開して彼らの侵攻が遅れるよう手を打った。金属の網に進路を阻まれた職員達はそれならばと得物を構え、次々に発砲する。しかしそれが被弾することは一度もなく、ヨーマは森の闇に姿を消した。


「くそっ!逃げられた!」
「いや、まだ近くにいるはずだ。探せ!」
「未知の金属の網で進路を妨害され、追跡は難航…」
「妨害を免れたC班が追跡している。順次連絡を頼む」


職員達はヨーマを追って次々と森の中へ消えていく。その様子を空から伺っていたステラは。


(くそ、悔しいがあいつの言う通りにするしかないじゃないか…!)


森の中を捜索する数不明の敵。力では優っているとはいえ、さすがに彼ら全員を相手にするのは無謀としか思えなかった。ステラは舌打ちすると、不本意ながらもその場から飛び去った。

 


ウルリはステラのことを思い出し、ぼんやりと天井を眺めていた。その横でディグが傷の手当をしてくれている。消毒液の沁みる感じで時々思考を中断させられるが、彼にしては珍しく長考していた。


「あとは安静にするんだよ」


救急箱の中身を片付けながらディグが言う。気がつくと、傷だらけの身体が綺麗な白い包帯と絆創膏まみれになっていた。


「なんだか重症負ったみたいだなぁ…でもオレ、本当に元気だよ?安静にしなくても大丈夫だってー」
「極度の興奮でアドレナリンが大量に放出されてて痛みを感じなくなってるんだ。お前はいいかもしれないけど、このままじゃ危険だぞ。痛みは身体の救難信号なんだから」
「そんなぁ…」


ウルリは自室のベッドに寝転がって溜息をついた。自分が最も信頼しているディグの言うことだから間違いないのだろうが、この状況は彼にとってあまりにも退屈すぎた。ディグがいなくなったのを見計らって部屋から抜け出してやろう、なんて考えていた矢先、部屋の壁に備えられている固定電話が鳴り出した。
ディグは咄嗟にそれを取ったが、2、3言葉を交わした後、電話をウルリに差し出した。


「え、なぁに?」
「所長からお前に、個人電話だと」
「ええ?なんの用だろう…」


ウルリは恐る恐る電話を受け取った。今までろくに言葉も交わしたことのない相手からの電話だったので、変に緊張してしまう。


「えーと、もしもし?オレ、ウルリ。これ、所長に繋がってるのか…?」
『柚羅です。今日はお疲れ様でした、ウルリくん。博士はまだそこにいますか?』
「うん。いるよ」
『そうですか。それなら、彼の耳の届かない場所に移動してください。それか、彼に部屋から出ていってもらってください』


妙な提案に、ウルリは少し引っかかった。しかし、上司の命令には従わざるを得ない。彼は聞き返したいのをぐっと堪えて、ディグに話しかけた。


「ねぇ、ディグ。所長が部屋から出てけってさ。ちょっとだけ外で待っててくれない?」
「…いいけど」


それを聞いたディグも訝しげな様子だったが、渋々ウルリの要求に応じた。彼が部屋からいなくなるのを見計らって、ウルリは声を潜めて電話に話した。


「出てってもらったぞ。でもなんで」
『あなただけに聞きたいことがあるのです』


柚羅所長は言葉を遮り、強い口調で言った。思わずウルリは唾を飲み込む。


「オ、オレに聞きたいことって、なんだ?」
『あなたが山で体験したことです。例の…黒いEBEと出会った際、他に誰かいませんでしたか?』
「誰かって…」


その質問を受けて、ウルリは真っ先にステラのことを思い出した。


『返事が遅いところをみると、あなた以外にも誰かいたようですね。誰がいたんです?』
「え、ええと……な、なんでそんなこと聞くんだよ。別に誰といたってどうでもよくないか?…」
『そんなこと、ですって?やれやれ、あなたはまだ事の重要性に気づいていないようだ』


柚羅の言葉が突然冷ややかなものに変わった。腹の底から呆れたと言わんばかりの嘆息に背筋が凍る。


『何も知らないあなたのために教えてあげましょう。あなたと同行していた人間は、人間ではない。我々が討伐するべき怪物、EBEです』


軽く鼻で笑いながら、なんの脈絡もなく、柚羅は断言した。


「え…?」


同時に、ウルリの思考が停止する。記憶が巻き戻されたビデオテープのように蘇り、彼の頭の中にフラッシュバックした。


「そ…そんなわけないじゃん!だってあいつはオレを助けてくれたんだよ?悪いやつだったらそんなことしないよ!」
『それは偏見ですね。見た目が幾ら無害でも、根本では何を考えているかわからない…思考を明確に探る能力がない限り、あなたの言い分は正しくないのです』
「でも……!」
『あなたがどう思おうが、その怪物は捕まえなければなりません。そうでなければ、あなたの大切な人を失ってしまいますよ』


ウルリは黙った。柚羅の言うことがいやに引っかかり、全て正しいとは思わなかった。しかし彼の最後の言葉は、浅はかなウルリに動揺と混乱を与えるのに十分な威力を発揮した。


「ど…どうすればいいの?」
『簡単なことです。あなたがそれを捕まえるのです。そうすれば、もう誰かが傷つくことはありません。あなたも、あなたのお兄様も』
「わ、わかった。そうするよ!」
『よろしい。ではあなたの外出許可は私が出しておきます。ただし、くれぐれも誰かに見つからないよう行動してください。これは私とあなただけの、機密計画なのですから』


柚羅は笑った。電話越しではわからなかったが、彼は想像もつかないほどおぞましい笑みを浮かべていた。
しかしそんなことになど全く気づかないウルリは、柚羅の言葉に突き動かされるままベッドから跳ね起き、服を着た。リビングの方にはディグがいるので、このまま出ていくわけにはいかない。彼は天井を見上げ、ダクトに視線を向けた。

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