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​#11 真実への到達

まだ日も開けないうちに、鬼怒谷達はELIOの建造物に着いた。ガードマンの姿はないものの、入り口や窓はシャッターが降り侵入の難しさを物語っている。

「さて……どうやって入ろう」

鬼怒谷が門の外から様子を伺っていると、ヨーマは普通に門を潜ろうとしたので慌ててその腕を引っ張った。

「だ、ダメです正面突破は!本拠地なんですよ!?」
「手っ取り早いと思うのですが」
「あなたはそれでいいかもですけど僕はダメです!」
「そうですか……」
「じゃ、オレに任せて!」

ヨーマを留めている最中、今度はウルリが勝手に走り出した。鬼怒谷は慌てて手を伸ばすが、ウルリは既に敷地内に侵入してしまった。
彼はダクトを指しつつ、二人を手招きする。

「オレ、いつもここから出入りするんだ!」

そう言うとウルリは、蓋を外しするりとダクトの中に入っていった。鬼怒谷は辺りを見回し、彼に続いて中に入った。

 


鬼怒谷は持ってきた懐中電灯を点けた。
ダクトを抜けた先は暗い倉庫で、何やら見慣れないものの入った段ボールや、謎の機材やら台やらがそこかしこに置かれていた。
懐中電灯の灯りに沿って、ウルリが部屋の壁に向かう。天井付近には別のダクトがあった。

「こっちこっち!着いてきて!」

負傷しているとはいえウルリは身軽だった。慣れた様子で、ひょいとダクトの中に身体を滑り込ませる。
金属質の冷たい通路は四つん這いに歩くのが限界というほど狭い。鬼怒谷はなるべく音を立てないように気をつけつつ、ウルリの背中を追った。しかしウルリ自身は慣れた場所なので、はやる気持ちと相まってお構いなしに進んでいく。鬼怒谷はついて行くのに必死だった。

気がつくと、足元が明るい場所に差し掛かった。そこは床が格子になっており、下の部屋が伺えた。そこは休憩室のような場所らしく、複数の人の気配や話し声がしていた。

「……具合はどうだい?」

部屋の中の誰かが言う。その言葉に鬼怒谷は足を止めた。

(どうかしましたか)

後ろについていたヨーマが囁く。

(……いや、なんでもないです)

そう返した鬼怒谷だったが、内心ではその声に強い関心を持たずにいられなかった。その声が、どこか懐かしいと思ったのだ。
鬼怒谷は格子の隙間から部屋を覗いた。
部屋の中には数人の職員と思しき人物がいた。スーツや白衣を着ていたり、厚手のジャケットを着ていたり、人種も様々だ。しかしその中に取り分け気になる存在はいなかった。そもそもELIOに知り合いがいるわけではないので当然と言えばそうなのだが。
ではなぜ、懐かしいと思う声が聞こえたのだろう?

(鬼怒谷さん)

その時、ヨーマが声をかけてくる。少し促すような声色に、鬼怒谷ははっと顔を上げた。

(あの子供を見失ってしまいました。どうしますか)
(え?あ、うそっ……!?」

動揺して上擦った声が漏れた。慌てて口を塞ぐが、その際に頭を天井にぶつけてしまう。
ゴンっと割と大きな音を立ててしまった。

「今の音はなんだ?」

職員の一人がこちらの方を正確に向く。他の職員達も一斉に顔を上げた。

(しまった!?)

鬼怒谷の心臓は激しく警鐘の如く打ち鳴らされた。この場から逃げようにも、パニックで身体が動かない。

(どうしようどうしようどうしよう!)

下の職員達は既に真下に来ている。手には侵入者の発見を見越しての、拳銃が握られている。
その時、パニックで動けない鬼怒谷をヨーマが強く引っ張った。
直後に銃声が鳴り、床から天井へ銃弾が貫通した。先程まで鬼怒谷がいた場所を通って。
鬼怒谷を背後へ押しやり、ヨーマは床の格子を蹴破って部屋に飛び込んだ。
下で待ち構えていた職員は格子ごと踏みつけられ、一瞬で無力化される。周りにいた残る職員達は驚きつつも得物を構えようとするが、それより素早くヨーマが赤黒い鎖を飛ばす。得物が弾かれ、準じて絡み付いた強靭な鎖により全ての職員が無力化された。

「もう大丈夫です。降りてきてください」

ヨーマは何事もなかったかのようにダクトを見上げた。

「あ…ありがとうございます、ヨーマさん」
「構いません。想定内でしたので」

その言葉に、鬼怒谷は引き攣った笑いが込み上げた。

「しかし、僕の方こそ謝らねばなりません」
「え?ど、どうしてです?」
「ああなると分かっておきながら貴方に話しかけてしまいました。申し訳ありません」
「あっ……そ、そうなんですね……ま、まぁそれはお互い様ということで」

今度は乾いた笑いが出た。

「そ、それはさておき。これからどうしよう?」
「ステラを探しましょう」
「それはそうなんですけど、手がかりがないですよ……」
「聞き込みをしましょう」

するとヨーマは拘束された職員の一人に近寄った。彼はまだ意識があるらしく、ヨーマに対して怯えた目を向けている。

「お伺いします。最近連れてこられたEBEはどこにいますか」
「ひっ!ひいっ!!」
「彼は知らないようです」
「僕が聞きます!」

鬼怒谷は慌ててヨーマを退け、職員との間に割って入った。

「ええと、や、夜分にすみません。知っていたら教えてほしいんです。最近ここに新しく連れてこられたEBEがいるはずなんです。どこにいるか教えてください!」
「う……う……」

職員は呻く。微かに肩が震え、怯えが残っているようだ。しかし鬼怒谷の目と視線が交わった時、彼は徐々に平静を取り戻した。

「い、いや……知らない」
「そんなはずは!」
「本当に、何も聞いていないんだ!EBEの収容時は末端の部下まで通達が来る!危険生物だからな……だが、今まで俺達に届いた通達はない!」
「そんな……」

信じられない言葉であった。が、職員のその顔は、嘘をついている様子でもないと思った。
鬼怒谷はヨーマの方を見る。彼は顎に手を当てて考え込む仕草を取っていた。

「敢えて情報を遮断しているのかもしれません」
「え?」
「全員に周知されては困る事情があるのでしょう。僕はそう考えます」
「……とすると、それができる人間が怪しい……?」

ヨーマは頷く。

「恐らく最も支配力を持つ存在がそうしているのです。さぁ、ここまで絞り込めば彼にもわかるでしょう」

 

ヨーマはもう一度、職員に詰め寄った。

「そのような権力を持つ人間とその居場所を教えてください」

 

 

あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
ステラが思うに、そんなに経ってはいない。しかし激痛という不快症状は体感時間を引き伸ばす。最早何度目かわからない、苦痛な声が再び上がった。

 

「ぐぅっ……!!」

 

ステラの目が見開かれる。定まらない焦点を必死に柚羅に向かって当てている。それは助けを嘆願するものでは決してなく、激しい憎悪と怒りを混ぜ込んだ、恨むような目付きだった。

 

「ふふ……君は余程の負けず嫌いのようだね。素晴らしい。だけど許せないのはこちらも同じ。君のその往生際の悪さのせいで、僕らは殺されたんだからね」

 

柚羅の表情は穏やかな笑顔から、ステラ以上の憎悪に塗り替えられていた。怒りに任せた腕の動きは、機械の出力を一気に最大へと押し上げようとした。
だが、その手が立方体に触れようとした瞬間、赤黒い槍が激しい火花を散らして機械に突き刺さった。

 

「ぐっ……なんだ!?」

 

柚羅は衝撃に驚き、後ずさった。機械はバチバチと電撃を弾き出し、裂けた場所から白い煙を吐き出した。それに連動して電波は消失し、ステラは苦痛から解放されたように項垂れた。
柚羅が振り返ると、部屋の入口に二つの人影を捉えた。
赤黒い槍を構え、第二弾を投擲しようと構えるヨーマ。そしてその後ろで鉄パイプを握って控える鬼怒谷が、いた。
柚羅は彼らを睨みつけ、歯を鳴らした。

 

「全く、やっとここまで来たというのに、邪魔をされるとはね……」

 

柚羅は踵を返し、部屋の奥にある扉に向かって走った。逃がすまいとヨーマは振り被り、槍を投げる。槍は赤い稲妻のように飛び、柚羅を阻んだ。突き刺さった機械類が花火の如く電光と煙を吹く。

 

「おのれ、細胞群体の分際で!」
「貴方を逃がすわけにはいきませんので」

 

ヨーマの足元から赤黒い根が紡ぎ出され、床を走り柚羅の身体を捕らえた。じわじわと締め上げるように絡みつく根は、表情に乏しいヨーマの本当の感情を表しているようだった。
鬼怒谷はその隙に、ステラの元へ駆け寄った。取り付けられたケーブルを外し、装置から降ろす。

 

「ステラ!大丈夫!?」

 

鬼怒谷は必死に名前を呼んだ。ここまで消耗したステラを、彼は見た事がなかった。だからこそ、不安が増幅した。ぐったりした彼女を抱えて、身体を揺する。すると、口から小さな呻き声が漏れた。

 

「……ん、お前、鬼怒谷か?」

 

ぼんやりと、ステラが目を開けた。

 

「よかった!気がついた!」
「なんだ、お前、この私がやられてると思ったのか?この心配性め」
「あぁ、その言い方、間違いなくステラだよ……!よかった……本当に……!」

 

反射的に鬼怒谷はステラを抱き締めた。まだぼんやりしていたステラはしばらくされるがままになっていたが、やがて頭がはっきりしてくると、鬼怒谷を乱暴にぐいっと押し返した。

 

「やめろやめろ!なんか変だぞお前!」
「そりゃ変にもなるよ……!すごく心配したんだからね!うう、本当に無事でよかった……」
「そ、そうかい。まぁ、それはそれとしてだ」

 

ステラは鬼怒谷の腕の中から抜け出すと、柚羅に向き直った。彼女は肩を怒らせ、目の前の存在を射抜くように睨む。

 

「お前!さっきはよくもやってくれたな!この後どうなるか……わかってるよな?」
「……ふん、生意気な口を。これくらいで僕が臆すると思っているのかい」

 

柚羅は微かに、肩を震わせて笑った。それははったりでも見栄でもなかった。
彼はこの状況を楽しんでいるようだった。その不敵な、異常な笑い方に、鬼怒谷は思わず悪寒を感じた。

 

「おや?妙なものがいるね。君の新しい仲間かな」

 

柚羅は鬼怒谷の方を見た。視線を向けられ鬼怒谷は一瞬凍りついたが、すぐに得物を構え直す。柚羅はまじまじと彼を見つめた後、妙に親しげに話し始めた。

 

「君か。今思い出した。久しぶりじゃあないか」
「な、何の話だ!?」
「……あぁ、君は覚えていないのだったね。当然といえば、当然だよね。僕らがそうしたんだから」

 

柚羅は穏やかな、しかしどこか不気味な表情で笑いかけた。

 

「君はね、死んでるんだよ。数年前にな」

 

淡々とした言葉が、鬼怒谷の脳髄に突き刺さった。
頭の処理が追いつかない程の矛盾を突きつけられて、困惑と動揺に取り憑かれる。騙されたのではと一瞬思い直すが、柚羅のはっきりした口調は、洗脳に近い説得力を含んでいた。
次の瞬間、鬼怒谷が目にしたのは、振り返り大口を開けて何かを叫ぶステラの姿と、花開くように分裂して自身に襲いかかる柚羅の手だった。
次いで見る見るうちに柚羅の脚は不気味な泥のような形に変わり、ヨーマの拘束を抜け出した。彼は触手で鬼怒谷を捕らえ、床に叩きつけた。自身は反動で高く跳躍し、部屋の反対側に着地する。その手に鬼怒谷を締め上げながら。

 

「お前っ……!その手を離せ!」

 

ステラが歯を剥き出して叫ぶ。近づこうとする彼女に、柚羅は触手で牽制した。

 

「ふふ、生物兵器も情というものがあるのだね。これは興味深い……」

「ス、ステラ……」

 

鬼怒谷の首に触手が絡みつく。銀色に輝く鱗のついた触手は、柚羅が人間ではないことを確信させた。その顔つきも、最早異形と呼ぶに相応しいほど、様変わりして見えた。

 

「お前こそ、随分人間らしいことをするじゃないか。姑息だな」
「まぁ、地上に来て随分経つからねぇ。本当はもっと早くに事を運ぶつもりだったんだけど、君だけはなぜか気配を捉えられないから、だいぶ手間取ってしまった。まぁ、奇しくも最初期の失敗作が君と接触できていたとは驚きだったよ」

 

柚羅は鬼怒谷の頭を掴んだ。力加減ができないのかしていないのか、骨が軋む感覚があり、彼は悲鳴を上げた。

 

「君が情を捨てきれないこれはね、僕達が君を捕まえるために行った研究の残骸なんだよ。元々は、ここの職員だったんだけどね。彼は余計なことに気づいてしまった。だから、証拠隠滅に加えて、実験体にしたってわけ」

「……なるほど、それで貴様はそいつを、殺したと」

 

ステラは冷淡な表情に変わった。その目には深い憤怒の色が滲んでいた。

 

「そうさ、その通りさ。彼のおかげでその礎は作られた。だけどそれだけで、彼自身は他のEBEの気配も感じられなくてね。仕方ないから、いろいろと初期化してその辺に捨てたんだよ。一応人間として暮らせてたみたいだね」
「……まさか、私に攻撃をしかけてきたあのバカも、お前が?」
「そうそう!彼は次世代で唯一能力を発言できた被験体でね!それでもまぁ、君の気配だけはやっぱり察知できなかったけど、今までで一番上手くいった個体だった。もう用済みだから壊しちゃったけど」
「はぁ……随分嬉しそうに喋るな。だいぶ胸糞悪いぞ、お前」
「君に言われたくないなぁ。僕達は創造主で、君達は制作物なんだよ。思い上がるなゴミ共」

 

柚羅は触手をしならせ、ステラとヨーマを攻撃した。二人の飛び退いた場所に、激震と衝撃が発生する。周りの機材などお構い無しに、乱暴に薙ぎ払う。二人さえ潰せば良いと、単調な考えが容赦のない攻撃を次々と生んだ。

 

「ステラ、どうしますか」
「私に話しかけるな!今考えてる!」

 

攻撃をいなしつつ、ヨーマが言う。これに対し、ステラは視線を合わせず、回避ながら叫んだ。

 

「やっぱりこいつを取り戻す気でいるのか。全く、馬鹿馬鹿しい。足でまといをわざわざ連れてくる神経が理解できないな。使えないものは処分してしまえば良いのに。……そうだ、僕が代わりにやってあげようか。どうせ一度死んでるんだから、誰も困りはしないだろうし!」

 

柚羅は先程よりも力を込め、鬼怒谷を吊るした。気道を塞がれ、急速に彼の顔が苦しみに歪む。ステラが咄嗟に飛び出そうとするが、ヨーマがそれを抑える。

 

「ぐっ!何すんだ、離せ!」
「だめだ、君が危ない」
「あいつのが危ないだろうが!」
「敵の思うつぼになる」
「知るかぁっ!」

 

ステラは憤るが、迫り来る触手に気づき回避を余儀なくされる。気がつくと部屋の大半は触手に取り囲まれており、柚羅に隙は殆どなかった。
柚羅は、鬼怒谷にとどめを刺そうと更に力を込めた。だが、その刹那、背後にとてつもなく強い衝撃が走った。まるでトラックにでもぶつかられたような、強い衝撃。柚羅は虚をつかれ、衝撃の勢いで鬼怒谷を手放した。
床に転がる彼を、ステラが追う。ヨーマは赤黒い太刀を作り出し、状況の変化に備えた。

 

「なんだ!?」

 

柚羅は振り向く。しかしその挙動の前に、胴体に巨大な手がかかっていた。それは毛深い、人間の巨躯に獣の頭がついた怪物のものであった。怪物は柚羅の無防備な身体を掴むと、力任せに床へ叩きつけた。激しさのあまり床はひび割れ、柚羅は口から薄気味悪い色の液体を吐いた。

 

「貴様っ……!生きていたのか……!」

 

柚羅が恨めしそうに見上げたその姿は、少年のものに変わった。……ウルリである。彼は肩で息をして、傷口を庇って立っていた。

 

「くそ、EBEの再生力か……どうやら君のことを甘く見ていたようだ」
「何言ってるか分かんねーけど、お前が悪いヤツだってことはわかるぞ!だから、ぶっ飛ばしてやる!」
「大口を叩くね、立っているのがやっとだろうに……くそっ……!」

 

柚羅は悪態をつきつつ、ふらふらと立ち上がった。彼自身かなり消耗した様子だった。壁に寄りかかり、荒く息を吐いている。ウルリは追撃を加えようと構えたが、傷が疼くせいか思うようにいかない。

柚羅はその隙に、部屋から逃走した。ウルリが追いかけようとするものの、足がもつれて転んでしまう。

 

「あっ!くそ!待てっ……いててて」
「無理をしないでください。貴方も重症なのです」
「ぐぅ……」

 

這いつくばって追いかけようとするウルリを、ヨーマが窘めた。

 

「しかし、お陰で助かりました。貴方はもう休んでください」
「嫌だ!オレだってあいつに用がある……っ……!」
「傷口が開きかけています。安静に」

 

ウルリがヨーマに抑え込まれている間、ステラは鬼怒谷に呼びかけていた。
鬼怒谷は魂が抜けたように呆然として、目に光がなかった。ステラは彼を呼び戻そうと、声を上げていた。

 

「おい!しっかりしろ!あんな奴の言うことなんか真に受けるな!お前は生きているじゃないか!」
「……そうかな?」

 

鬼怒谷がようやく重い口を開いた。その目はずっと床を見ている。

 

「そりゃ、嘘みたいな話だって思うよ。でも、あの人の言葉は、なぜか、すごく的を射ているような気がするんだ。本当にそうなんじゃないかって……君達やあの子を見てると、有り得るんじゃないかって、思うんだよ。ほら、宇宙人の出てくる映画でもそういうの、よくあるじゃないか。もしかすると、僕は本当に死んでいて、記憶もそっくり作り替えられて……」

 

ステラは、深い、深いため息をついた。その息を自分の手にかけた後、思い切りのいいフルスイングでもって鬼怒谷の頬を叩き飛ばした。
弾ける音は、静寂の降りた部屋に広がってすぐに消えた。だが、殴られた頬は徐々にじくじくと痛みを増してくる。鬼怒谷は今日一番驚いて、ステラを見下ろした。

 

「な、何!?何すんの!?」
「うるせー!お前がいつまでもうじうじしてるからだろうが!腹立たしい!」
「気持ちの整理もさせてくれないの!?」
「お前のは違うだろ!ほら、左側も差し出せ、叩き直してやる!」
「それ意味違うよね!?あ、ちょ、ちょっと !叩こうとしないで!」

 

ステラは翳した手を下ろし、鬼怒谷の服を乱暴に引っ張った。まだ気が動転して瞬きをする彼に、ステラは言った。

 

「いいか、あんなやつの言うことなんか聞くな!お前が決めろ!どうしても決めきれないのなら、私の言うことだけを聞いていろ!」

 

刹那、視線が交わる。ステラの厳しくも真っ直ぐな目が、鬼怒谷に訴えかけている。それは普段一度も向けられたことのなかった、切実な思いの篭った目であった。鬼怒谷は目を見開いた。

 

「……うん、ありがとう、ステラ」
「……何の礼だそれ」
「君のお陰で気持ちの整理がついたんだよ。そのお礼」
「……ならいい」

 

ステラは鬼怒谷から離れ、壁の方を向いた。表情はよく見えなかったが、彼女は袖で顔を拭っていた。

 

「……さぁ!その話はもう終わりだ。気を取り直して行くぞ!」
「そうだね、まだ解決していない」

 

二人はいつもの表情に戻り、顔を合わせた。
直後、突然、部屋に備えられたスピーカーがけたたましいアラームを響かせた。ランプが赤く点灯し、異常事態に拍車をかける。

 

「ち、厄介なことになったな」
「こ、これってもしかして……」
「たぶん、あいつがやったんだ。ぼやぼやしてると敵が増えるぞ!」

 

ステラは走り出そうとした。だが、入口に人影が現れたのに気づき、瞬時に身構える。鬼怒谷も鉄パイプを構えたが、顔を上げたウルリが驚いた声を上げた。

 

「あ!ディグ!どうしてここに!?」

赤いアラートランプに照らし出されたのは、白い髪の少年だった。彼は青い瞳を驚いたように見開いていた。

 

「どうして、じゃないよ。お前こそ療養中のくせに何してるんだ……!」

 

ディグは場の状況を確認し、素早く銃を構えた。銃口は、ウルリを押さえ付けるヨーマの方へ真っ先に向けられる。

 

「弟から離れてもらえるかな。それとも、言語は通じないか……?」
「いえ、わかります。すみません、退きます」

 

ヨーマはあっさりと手を離し、ウルリから距離を置いた。無論、彼は銃など怖くはないのだが、ことを荒立てないために身を引くのは彼の信条であった。
ディグはしばらく構えていたが、銃を下ろすと、ウルリの元へ駆け寄った。

 

「大丈夫……じゃないね。立てるか?」
「だ、大丈夫だぞ!早くあいつを追いかけなきゃ!」
「あいつって、彼らの事じゃないのか?」
「違う!違うんだ!柚羅が、所長が悪いヤツだったんだ!オレが怪我したこと話したろ!全部あいつのせいだったんだよ!」
「……そうなのか」

 

ディグは困惑していた。だが、その表情は変わらず、ゆっくりとステラ達をに視線を移す。部屋の有様と加えて、彼の出した考えは。

 

「わかった、一先ずお前は戦線離脱だよ。すぐ治療室へ行こう。それと、あなた達は……」

 

ディグはポケットからPHSを取り出した。

 

「ここから逃げてください。俺が時間を稼ぎます」
「はぁ?いやなこった!」

 

真っ先にステラが抗議した。

 

「私達もあいつに用があるんだよ!」
「オレも!オレもだ!」
「ウルリは黙ってて。君達には幾つか聞きたいことはあるけど、今は時間が無い。とりあえず、防衛隊がここに来るまでの時間は稼ぎます。あとは、あなた達に任せます」
「い、いいの?僕が言うのもだけど、敵同士じゃ……」
「俺はこっちの方が大事なんです」

 

ディグはウルリを見て言った。

 

「最初からあなた達と戦って勝つ自信もないし……戦うつもりなんてないですから」

 

ディグはPHSに向かって何か呟くと、スピーカーのアナウンスが変わった。

 

『全職員に通達、対象は地下第二研究所へ移動中とのこと。急ぎ備え、対処するよう』

 

無機質な声を聞き届け、ディグはウルリに肩を貸し、支えた。ウルリは納得していないのか不満を漏らしていたが、傷のせいでまともに動けず、ディグに引きずられていった。

 

「……あの子、無事に治るといいね」
「しぶとい奴だから大丈夫だろ。それより、私達も行くぞ。あのいけ好かないやつに一泡吹かせないと」

 

ステラはそう息巻いて部屋を飛び出した。その後に、鬼怒谷が続く。
ヨーマは一瞬足を止めた。はっきりとはわからなかったが、何か予感がしたのだ。しかしそれを深く考える前に、ステラ達を追いかけなければと、考えを改めた。

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