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​#5 消えた無名の丘

初夏。暑さが主張を始め、のどかな春の雰囲気を書き換えつつある時期。鬼怒谷がステラと出会ってからひと月が経とうとしていた。
初めは不安しか無かった共同生活だったが、意外にも安定して普通な生活を送っている。相変わらずEBEが絡む事件には巻き込まれたが、最初に比べればなんてことのないレベルばかりだった。


「あー、最近は退屈だなー」


ステラは部屋の真ん中のテーブルに突っ伏しながら不満を漏らした。


「平和な証拠だよ。いいことじゃないか」
「平和すぎるのもねぇ。ある程度刺激がないと腐っちゃうぞ」


ステラはテレビのリモコンを取って、ボタンを押した。それに合わせて、画面の映像が瞬く間に切り替わる。お昼のワイドショー、お笑い番組、ドキュメンタリーなどなど。
今日は日曜日なので、面白そうな番組はそれなりにやっていた。
しかしそれでもステラの退屈は解消できないらしく、彼女はリモコンをテーブルに叩きつけた。


「ちょっ、壊さないでよ!」
「壊してないよ。つまらな過ぎるのが悪い!」
「そんな横暴な…」


鬼怒谷は苦言を漏らした。そんな彼の膝の上にステラが飛び乗ってくる。


「ところでお前はさっきから何をやってるんだ」


覗き込むと、テーブルの上には幾つかのノートと専門書が広げられていた。


「勉強だよ。今週講義で聞いた内容をまとめてるんだ」
「うー、見る限りつまらなそうなことをしてるな…。なぁ、どこか遊びに行こうよ。外もあんなに晴れてるんだぞ。引きこもってちゃ勿体ないぞ」
「いいよ。でもこれが終わったらね」


鬼怒谷は話しながらシャープペンシルを走らせた。綿密で綺麗な字がサラサラと羅列される。その様子と残されたノートの山を見て、ステラはうんざりした表情を浮かべた。この調子でお昼に間に合うのだろうか、と。


『ーー古都の趣きを現地で学ぶ、ローカル線でのぶらり旅…』


不意にテレビから流れてきた言葉が、二人の沈黙を割る。叩きつけられた衝撃で再び番組が切り替わっていたのだ。
目を向けると、見るからに古そうな家屋の並んだ由緒ありそうな通りを二人のタレントが歩いている姿が映っていた。


『今週も電車を乗り継ぎながら、町に住む人々のルーツと、町の美しい伝統に迫っていきます』
「ルーツ…」


鬼怒谷はテレビの言葉を反芻した。無意識に出ていたらしく、ステラが不思議そうに見上げてくる。


「どうしたんだ?」
「いや…そういえばステラはどこから来たの?」
「今更な質問だな。そんなの、ここの外に決まってるじゃないか。私はずっと長い旅をして、ようやくここを見つけたんだぞ」
「地球外…ってことだよね。え、じゃあ宇宙空間は!?」
「そりゃあ息が詰まりそうだったよ。でもまぁ、それまでのことに比べたら…」


ステラは話を止めた。その表情はとても渋い。


「なにかあったの?」


鬼怒谷はステラの顔色を見て、何か深刻なものを感じた。普段の豪放磊落な彼女が見せる感情とは全く異質な、負のオーラに満ちた表情だったのだ。何かに対する絶望と、憎悪が入り交じったような。


「…何も無かったと言うと嘘になる。私は嘘が嫌いだからな。だけど、あの時は空白の期間みたいなものだった」


ステラは鬼怒谷の膝から降り、テレビの電源を切った。


「まぁ、少しくらいなら話してやっていい。私がどこから来たのか」


ステラは鬼怒谷と向かい合ってテーブルに座った。鬼怒谷は彼女を食い入るように見た。文字を連ねるシャープペンシルの手も止まる。話を聞くだけなのに、心臓がドキドキした。


「私はここから随分離れた銀河に浮かぶ、彗星に住んでいたんだ。ここに比べると何にもない、岩肌に囲まれた星だ。そこで物心着いた時から生きてた。仲間もいた。いい奴らとは思わないけど、悪い奴らでもなかったな…」


ステラは淡々と語り始めた。しかしその表情から察するに、かなり感傷に浸っているようだった。


「だがそんな時、空から侵略者がやってきた。奴ら…許可なく私の星を壊して行ったんだ!お陰でこうして路頭に迷うはめになった!今思い出しても腹が立つ!」
「あああそんなに叩かないでテーブルが壊れる!」


鬼怒谷は慌ててステラを窘めた。しかしそれでも腹の虫が収まらないのか、肩で荒く息をしていた。


「まぁ、侵略者どもにはしっかり報復をしてやったんだがね。そのあとはこうして、故郷に変わる新しい住処を求めて旅をしてきたというわけさ」
「そうだったんだ…」
「そうだよ。だからまさかこんなところで拘束されるとは思ってなかったんだよなー」
「ごめんなさい…」


ステラに睨みつけられ、思わず謝罪する鬼怒谷。彼女は鼻を鳴らした。


「もう今更だから別にいいけどさ。それよりもうすぐお昼だ。本当に悪いと思ってるんなら、今からどこか美味しいものが食べられる場所に連れて行け」
「でもまだ課題が…」
「あ?」
「わ、わかった!行くよ!着替えるからちょっと待ってて…」


ステラの一瞥で、本日のお昼は外食に決まった。

 


阿久更町商店街は相変わらず賑わっていた。というより休日だからこそより一層の賑わいで、何か大きなイベントでもあるのかというくらい人通りが増していた。
鬼怒谷ははぐれないようにとステラに手を差し伸べたが、彼女からは拒否されてしまった。しかたがないので人混みに流されないよう注意しながら、二人は商店街を歩いた。


「ステラ、何食べたい?」
「美味しければなんでもいいけど、シュークリームがいっぱい食べられる場所はないのか?」
「あるにはあるけど、お昼ご飯って感じじゃないんだよね…」
「じゃあ任せる。だが、辛いものを出す店だけは入るなよ!」
「あれ、辛いの苦手なの?」
「私は嫌いだ」
「うーん、じゃあ普通に喫茶店にしようか」


鬼怒谷は目に付いた喫茶店へと足を向けた。そこは商店街の隅の路地にある、所謂隠れ家的なお店だった。休日でもそこまで混雑はしておらず、人目を避けたいステラにも都合がいいだろう。
路地へ入ると、家屋同士に挟まれた道の向こうに人影があった。人影はこちらをじっと見据えて立っていた。
鬼怒谷はそこから強い威圧のようなものを感じ、本能的に足を止める。すると、人影はどこからともなく現れた何かを手にすると、真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
影から現れた姿は、肩から足にかけて真っ黒なローブを纏った長身の男性だった。彼は赤黒く輝く刃物のようなものを携えていた。


「えっ!?」


鬼怒谷は唐突のことに身体が硬直し、立ち竦んでしまった。数秒のうちに彼と男性との距離は一気に縮まり、射程圏内に入ったところで男性が刃物を振りかざしてきた。


「鬼怒谷!」


後方にいたステラが素早く飛び、二人の間に立ちはだかる。同時に男性の得物が見えない何かに弾かれて金属質の衝撃音を発生させた。その勢いで後ずさる男性。彼は赤い瞳で、ステラを見た。


(こ、この人は一体…!?)


鬼怒谷は混乱しながらも、なんとか状況を理解しようとした。目の前で対峙するステラと黒い男性。手にした未知の得物を見ても、男性は人間ではなさそうだった。
だとすると新しいEBEの可能性が高い。ステラは以前鬼怒谷に語っていた。「人間に化ける奴もいる」と。


「ス、ステラ…」


鬼怒谷は緊張のあまり、彼女の名前を呼んだ。すると、なぜかそれを聞いた黒い男性が反応を示した。


「ステラ、と呼ばれているのですか」


抑揚のない声が男性の口から漏れる。彼は臨戦態勢を解き、得物を持った手をだらりと下げた。得物は糸が解かれるように細かく細かく分裂し、彼の掌に吸い込まれて消えた。


「気安く呼ぶんじゃない。張り倒すぞ!」
「あなたと争いたくない。でも、良い名前だと思う」
「うるせぇ!」


ステラは激しく憤慨し、黒い男性に向かって跳躍した。その時、男性は目の前に赤黒い糸…まるで蜘蛛の巣のように折り重なったそれを一瞬のうちに展開した。瞬間、再び見えない何かがそこへ衝突した。今度はステラが弾かれ、彼女はくるくると空中で回転し着地する。


「な、なんだあれ…!?」
「分が悪い。いくぞ鬼怒谷!」
「うわっ!!」


見えない腕に引き寄せられ、鬼怒谷はステラと共に路地を飛び出した。その後を黒い男性が歩いて追う。


「待って。話をしよう」


そう言うと、男性の足元から大樹の根のような赤黒い綱が生えてきた。それらは地を滑るように這い、ステラの足を捕らえた。


「ぐっ!」
「ステラ!大丈夫!?」
「この程度で心配すんな!くそっ!」


ステラは鬼怒谷を近くに解放し、フリーになった腕を刃物に変えて自身の足に縛り付く赤黒い綱を切り離そうとした。だが、僅かに表面は傷つくものの分断する気配がない。
周囲の人々は突然始まった異様な光景に驚き、パニックに陥った。逃げ出すもの、叫ぶもの、携帯電話に状況を納めようとするものまでいた。
黒い男性はそれに気づいているようで、他の赤黒い綱を使って彼らの携帯電話をひとつ残らず破壊した。
よろよろと立ち上がった鬼怒谷は、その様子を見て戦慄した。あのステラが押されている。少なくとも優勢には見えない。


(なんとかしないと!)


鬼怒谷は周囲を見た。そこは奇しくも加工した金属を取り扱う店のようだった。店主はこの騒ぎで奥に引っ込んでしまったらしく、自分以外の人影はない。
彼は店に置かれていた大きな金槌を手にすると、ステラの元へ走った。


「ステラ、動かないで!」
「な、なんだ!?」


鬼怒谷はステラの足に絡む赤黒い綱目掛けて金槌を振り下ろした。懇親の一撃は鈍い音を立て、綱を粉々に砕く。
鬼怒谷は金槌を手放し、ステラを抱き上げて走り出した。


「気を使うな、一人で歩ける!」
「今そう言ってる場合じゃないだろ!僕に任せて!」


鬼怒谷は逃げる人の波に混じって商店街を疾走した。背後からは強い威圧がずっと追いかけてくる。
それならばと、彼は急に道を曲がって路地に入った。人混みが上手く隠してくれたお陰で、黒い男性の追跡が一瞬途切れた。彼が気づき路地に入る頃には、二人の姿は失われていた。


「…どこへ」


黒い男性は路地の入り口に立ち尽くし、消え入るような声を出した。

 


鬼怒谷とステラは路地と路地の合間にある、狭い通路を走っていた。そこはかつて幼少期に、鬼怒谷と秋色が「開拓」した秘密のルートだった。地元民でもまず知らないだろう。
ゴミの詰まったペールやダンボール箱を避けてするすると通り抜けていくと、いつものスクランブル交差点の前に飛び出した。


「上手く巻けてればいいけど…」


息を荒らげ、鬼怒谷は額の汗を拭った。もう背後からあの気配はしていないので、おそらく逃げ切れたのだと思う。


「ステラ、大丈夫?怪我は…」
「私が怪我なんかするもんか!早く降ろせ!」


ステラは鬼怒谷の腕を振りほどき、アスファルトの上に着地した。しかしその瞬間、彼女の顔が少し歪んだ。よく見ると掴まれていた足から血が出ていた。


「してるじゃないか、怪我…」
「こんなの、私にとっては怪我のうちに入らないんだよ」
「ほらもう無理しないで」
「おい!触るな!いてて…」


鬼怒谷は再びステラを抱えた。最初は嫌がって暴れた彼女だが、傷が痛むのか次第に大人しくなっていく。


「病院…は行けないから、一旦帰ろう」
「でも、お腹が空いたぞ…」
「…そうだね、コンビニで何か買ってからにしようか」


鬼怒谷は一先ず対岸のコンビニを目指して、交差点の信号が切り替わるのを待った。


「さっきの…人?あれもEBEなのかな」


鬼怒谷は待つ間、ステラに話しかけた。彼女は顰め面をしていた。それは怪我のせいではないように見える。


「そうだ、お前らでいうとこのEBEって奴だ。それもとても厄介な」
「やっぱり、人間形態の方が強いの?」
「そうとは限らないけど、人間に化けられる奴に相当力があるのは間違いないよ」
「…君に面識があるようだったけど、知り合いなのか?」
「知り合い!?」


ステラは噛み付くように言った。その剣幕は今までに見た中で一番迫力があった。まるで心底嫌っていると言わんばかりの勢いだった。しかし、彼女はすぐに落ち着きを取り戻し、ひとつ咳をする。


「…私は認めちゃいないよ。あんなやつ」


ステラは小さく、吐き捨てるように呟いた。


「もう深く考えるな。あいつは私の敵、排除すべき敵だ。それ以外の関係はない。鬼怒谷も見かけたら気をつけろ」
「…わかった」


その時、信号が切り替わる。鬼怒谷はステラを抱えたまま進もうとしたが、彼女はするりと彼の腕から抜け落ちた。気がつくと、その足はすっかり癒えていた。

 


結局それからはずっと部屋で過ごした。あの黒い男性に出会す可能性がある以上、外に出るのが恐ろしかった。
鬼怒谷は課題の続きを進め、ステラはぼんやりとテレビを眺めていた。時々彼女はカーテン越しに窓を見た。何かの気配を感じ取ったのか、それとも単純に外が気になるのか。鬼怒谷は思いのほか時間がかかってしまった課題を消化するのに頭がいっぱいで、ステラにそれ以上気にかけることはしなかった。
午後九時。その時計に気がついた時、鬼怒谷はしまったと思った。昼間のことが強く印象に残ったお陰で、夕飯の買い出しをすっかり忘れていたのである。
鬼怒谷はそそくさと部屋を出て、鍵を取った。


「どこへ行く?」


その姿にしっかり気づいていたステラは、こそこそ動く鬼怒谷の背中に向かって声をかけた。


「わ!お、驚かさないでよ」
「どこに行くか聞いているんだ。さっさと答えろ」
「どこって…ゆ、郵便が来てないか見に行くんだけど」
「本当か?」
「本当、すぐそこだよ」
「…なら、行けば」


ステラは疲れている様子だった。踵を返し、居間に戻っていく。
嘘をつくことは気が引けたが、お土産にシュークリームを買ってくれば溜飲も下げられるだろう。鬼怒谷はそう思って、部屋の外に出た。
扉を開けた瞬間、目の前に黒い影が浮かんでいた。その姿は昼間見たーー。
鬼怒谷がアクションを起こすより前に、無数の赤黒い糸が瞬く間に彼の視界を覆った。


気がつくと、鬼怒谷は広い場所に連れてこられていた。そこは草木が生えず砂漠化してすらいる丘だった。十年前、「隕石が落ちた場所」として有名になった丘である。
鬼怒谷はそこで、何が起こったのかわからず呆然と座り込んでいた。


「なっ…なんで」


目の前には、黒い男性がいた。彼は両腕をだらんと垂らし、赤い目でじっと鬼怒谷を見ている。
しかし昼間と違うのは、今の彼に息の詰まりそうな程の威圧は放たれていなかった。少しだけだが和らいだ表情をしていて、鬼怒谷に対し何かしようという意思を感じられなかった。


「突然連れ出してしまって申し訳ありません。あなたと話がしたかったのです」


黒い男性は恭しく述べた。深々と頭を垂れ、謝罪の意を示している。同じEBEであるステラとは大違いの対応だった。
鬼怒谷は余計に困惑した。ステラが気をつけろと念を押した程の相手が、自分に丁寧に頭を下げているのだ。油断させる罠かもしれない。そう思った矢先、黒い男性はその場に綺麗に正座をして、鬼怒谷に話し始めた。


「僕の名前は…ヨーマ。昼のことも含めて謝罪します。あの子が誰かといる姿を見るのは初めてだったので、あなたのことを敵だと思ったのです」
「そ、そうですか…」
「教えてください。あなたは何者なのですか?」
「何者って…普通の人間ですけど…」
「彼女を洗脳する術を持っていますか?」
「ない…ですね」
「わかりました。ありがとうございます」


淡々とした敬語は寧ろ鬼怒谷を緊張させた。仮にも相手はEBEであり、昼間見たあの力を行使されれば自分など一溜りもないのだ。どんなことが彼を刺激するのかわからない以上、鬼怒谷に平穏はなかった。


「緊張していますね」


黒い男性ーーヨーマが核心をついてくる。指摘された瞬間、鬼怒谷の心音は跳ね上がった。


「えっ、いや、その、そ、そう見えます?」
「わかります。無理もないでしょう。僕があなたを排除しない理由がありませんから」


突然、ヨーマが立ち上がった。右手を鬼怒谷に向けると、そこから赤黒い糸が放出した。糸は幾重にも折り重なり、やがてひとつの刃として成形した。彼はそれを、鬼怒谷の喉元に向けた。


「わ、あ…!!」


鬼怒谷は凍り付いた。やはり、この男は明らかな敵意を持っていた。何一つ変わらない表情なのに、じわじわとあの恐ろしい威圧が吹き出してくる。


「本当はこんなことをしたくないのですが、あの子のためです。せめて苦痛のないように努めますから」
「…っ!!」


鬼怒谷が叫ぶより先に、ヨーマは得物を振るった。衣類が切り裂かれて宙を舞う。しかしその残骸は見るに堪えないものではなかった。
遥か数メートル先に、地面に倒れ伏す鬼怒谷と、その傍にステラがいた。先程まで鬼怒谷がいた場所は布の切れ端と、僅かな血痕が残されていた。


「姑息なことしてくれるじゃないか。私を怒らせるために姿を現したのか?」


ステラが静かに話す。その声色には強い怒りが含まれて、言葉の端々が震えていた。
ヨーマは穏やかな表情…つまり、笑顔を見せた。まるで目の前の存在が愛おしいと言わんばかりの、優しい顔をしたのだ。


「いや、君のためだ。その人間は君の邪魔にしかならない。だから排除する」
「私のため…?ふざけるのも大概にしろ。私はお前なんかに頼った覚えはない!そもそもお前は“誰だ”!?」


ステラの怒声に、ヨーマは驚いたようだった。その声の大きさではなく、言葉の内容が突き刺さったようだった。


「…僕を覚えていないのか。そうだね、だってあの時以来に会うから」
「あの時って…」
「星が消えた日だ。あの時から僕達は離れ離れになってしまった」
「じゃあ、お前は…!」
「同郷の仲間だよ」


ヨーマは優しい笑みを湛えた。いつの間にか手にした得物が消えている。彼は両手を広げて、ステラに歩み寄った。


「あれからずっと君のことを追った。もう生き残っているのは僕達だけだったからね。君が元気でいると知った時は本当に嬉しかった…」
「ちょっと待て、あいつらは全滅させたと言っていたぞ!…まさか、お前も」
「そう、捕まった。運良くね」


鬼怒谷は、二人がなんの話しをしているのか全くわからなかった。傷を抑え、呆然と見ていると、ヨーマが不意にこちらへ視線を移してきた。


「この人には話したのか?」
「答える筋合いはねぇ」
「見たところ、話についていけてないようだ。していないんでしょう?それか、嘘をついた」
「…私が嘘なんかつくか」
「まぁ、構わないよ。彼はどうせ排除するんだから」
「それは許さない。消えろ」
「彼のことを庇うのか?彼は君に害を及ぼす。一緒にいていいことなんてない。それより、僕と一緒に行こう。ここよりもっといい場所が、二人なら見つけられる」
「余計なお世話だ!」


ステラは背中から鋭い刃を幾つも展開し、ヨーマ目掛けて放った。丘が一瞬のうちに抉れ、土埃を舞わせる。ヨーマは虚をつかれたらしく、視界が良くなる頃には傷ついた片腕を庇っていた。


「…ステラ、考え直せ」
「その名前で呼ぶな!」


怒涛の攻撃が続く。まるで戦争のような、最も容赦のない連撃だった。ヨーマは怪我を負いながらも食い下がる。


「彼と一緒にいてはいけない。君が傷ついてしまう。僕なら君を守ってあげられる」
「いらねぇって言ってんだろ!お前なんか嫌いだ、大嫌いだ!いつもそうやって上から目線で、癪に障る!いっそのことここで殺して、私の方が強いってことを証明してやる!」
「ステラ…そんなもの無意味だ。強さはどちらも傷つける。誰も傷つかない方法があることに早く気づいてくれ。それが最も良い方法なんだ」
「黙れっ!!」


丘が崩壊しても、なお激しく繰り広げられる戦い。そこに鬼怒谷のような人間が介入する術などない。ただ傍観するしかなかった。
ステラは自身の身体から刃や腕を展開し、襲いかかる。対するヨーマは赤黒い糸を重ね、ステラからの攻撃を全て防ぎ切っている。最強の矛と盾が混じり合うような光景。それはつまり、決着がつかないことを意味していた。
ステラは次第に息を切らし始める。ヨーマに比べると、運動量は遥かに彼女の方が多かったのだ。ヨーマは絶えず涼しい顔で、まだ有り余っていると言わんばかりに赤黒い糸を紡ぎ続けていた。


「はぁ、はぁ…くそっ!さっさと私の前から消えろ!」
「そうはいかない。僕は彼を排除しなくてはいけない。どうして邪魔をしているんだ?君は彼を…庇っているのか?」
「そういう約束をしたからな!」
「それは何か、弱みを握られているからじゃないか?」


ヨーマの言葉に、ステラは一瞬隙を作った。その瞬間、赤黒い糸が彼女を捕らえた。最早何も出来ないくらいに、糸が絡みつく。


「くっ…畜生、離せ!離せ!!」
「やっぱり、彼に何かされたんだね。安心して、もうその心配をする必要は無いから」


ヨーマはゆっくりと鬼怒谷の方に向き直った。その表情は硬く、鋭いものに変わっていた。目の前のものを絶対に許さないという、強い意志があった。


「ステラの邪魔になるものは全て取り除かなければなりません。あなたを排除させてください」
「違うっ!違う!私が!私から約束したんだ!そいつは何もしていない!!」


ステラの叫びに、ヨーマは足を止める。


「…どうして、そこまで彼を庇う?彼は君に何をもたらした?昔の君はそんなのじゃなかったはずだ」
「それは……お前の見ない間に私も心変わりしたってことだよ。お前だってそんなに姿が変わってるじゃないか」
「…確かに、そうだね」


突然、赤黒い糸が霧のように散った。解放されたステラは地面に落ちた。だが、彼女は土を払うこともせずすぐさま駆け出し、鬼怒谷の前に立った。


「…よほど、彼のことが大事なんだ」
「大事ってわけじゃない。だが、こいつがいるといろいろと便利なのさ。勘違いするな、こいつは私が利用している。お前が妄想するように、こいつに顎で扱われたことなんか一度もない」
「……そうか」


ヨーマは息を吐いた。気がつくと、あの強い威圧は消えていた。
彼の記憶に新しいことがあるーーそれは、昼間、商店街でのこと。ステラを引き留めようとした時、あの人間は彼女を連れて逃げた。それは確かに、彼女を助けようとする意思を感じる行動だった。一方で、自分は無意識のうちに彼女を傷つけていた。彼女を傷つけるほどに強く、引き留めようとした。去り際の彼女の足の傷は、今でもよく覚えている。


「…わかった、彼は排除しない。君を信じる」
「ふん、別に信じてもらわなくても結構だが?」
「僕は君の方が大事だから」


ヨーマはふわりと宙に浮いた。黒い衣装を靡かせる姿は恐ろしくも神々しかった。彼は再び鬼怒谷の傍へ寄り、頭を下げた。


「恐ろしい目に遭わせて申し訳ありません。僕はもうあなたを排除する気はありません。その代わり、彼女を助けてあげてください。お願いです。彼女を裏切るようなことは決して、しないでください。もしあなたがそれを破るなら、僕はやはりあなたを排除します」


そう言い残すと、ヨーマは夜の闇に消えた。あとに残されたのは、怪我だらけのステラと鬼怒谷、そして見る影もなくなった丘。
ステラと鬼怒谷は一気に緊張の糸が切れ、その場に座り込んだ。


「あー、めんどくさい奴!もう二度と顔合わせたくない…」
「そ、そうだね…」


鬼怒谷はステラの方を見た。相当しんどかったらしく、彼女はまだ息を切らしている。そんな彼女に向かって、彼は話しかけた。


「ねぇ、ステラ」
「なんだ?」
「ありがとう」
「…なんで?」
「助けてくれてありがとう」
「あー…別に、約束だから仕方ないだろ。感謝する必要は無い」


そうは言いつつも、ステラは少し照れていた。
元々利害関係で結ばれた奇妙な縁だったが、二人の間には確実にそれ以上のものが生まれ始めていた。それにどちらも気づいていないのが、ある意味幸せなことかもしれない。
空を仰ぎ見ると、そこには大きく丸い月が燦々と二人に輝きかけていた。

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